代表コラム


【ジュニアトップ選手から指導者、研究者が何を学ぶのか】

昨年の世界陸上、今年のオリンピックとおってみていくと400m走の走り方の世界的な変化がその最もたる例でもあるが日本においてジュニア及びにユース年代におけるトップ選手の動作分析、彼ら彼女らが無意識のうちにできている動きについてもっと大人たちが敬意をもってみていくべきだったということが沢山ある。

それは時にトップレベルのメダリストやプロ選手を先行している。

日本においては筋力、体格ではない多くのヒントとなる動きであったものを遺伝や才能というくくりでとどめてしまっていたことに大きな損失があったのではないだろうかと度々思う。

身体の何処の力、どんな運動法則を使っているのか本当はそんな情報にあふれていたのにそれを遺伝や才能、体格的なものとしてくくってきたことからの遅れはとても大きい。

またそこにある技術とフィジカルの関係性を置き去りに別枠で捉えていたことも大きな遅れの要因となっている。

こうした年代のトップ選手の無意識下で出来ているものを分析していくことで子どもや選手に限らず、多くの人の未来へとつながっていくものは沢山ある。

腕は振るのではなく、腕は振り下ろすという走り方にかんしては10年前にブレない走り方の一つの方法として仮説として取り入れれてきたがそれが確信になったのは3年前だった。

確信をもたらしてくれたのは山本さん(山本慎吾選手)だった。

山本さんは小学生の頃に100mを11秒73で走り、その記録は18年以上たった今も破られていない。

山本さんと一緒にいる時いつも感心してしまうのは普段歩くときも何気なくジョギングをする時も走りと関連づけた良い姿勢と動きを徹底していることだがその時の動きが腕を振り下ろすことによって背筋を伸ばす、地面の反発を利用して弾むように進んでいくというものだった。

電車で帰る時によく山本さんの小学生の頃の話を質問してみると川遊びと登り棒の時間が多いのが特徴だった。

決して小学生時代において体格的に特別でなかった山本さんが小学生で100m11秒で走ることが出来たのも力のいれ方、緩み方をスムーズにできる体幹と腕を振り下ろす走法にあるのではと当時考え、腕を振り下ろすことについての確信は深まった。

最終的な確信に変わったのはある大学で山本さんが100mを10秒前半で走る時の筋電図をはかったところ、ハムストリングの反応がゼロだったという研究結果だった。

小学生時代に100mを11秒で走ることができたのは地面を蹴らずに反力で走ることが出来ていたからではないかと想像が膨らんでいった。

今、陸上の400m走で確立しつつある世界トップ選手の走りの共通項は18年以上前に日本の小学生が既に確立していた。

才能という言葉でひとくくりにできない程、大人がしっかりと分析できるようになった時、早熟という言葉は今よりもきっとへるように思う。


【女子選手の伸び悩みはどこでおこっているのか】

リオ五輪女子200m福島千里選手は予選7組で5着に終わり、準決勝進出を逃した。
福島選手が予選で終わる場合、度々あがるのは「福島選手の次を担う女子選手、福島千里と競うことができる女子選手は日本にいないのか?」という声である。

実は高校世代の時に将来は福島選手以上の輝きないしは共に競っていくであろうと期待された選手は少なくない。

ただ、そうした選手の多くが大学、社会人で自分でも伸び悩みの理由がわからないままに競技から離れていくのがここずっと続き国内において福島千里一強時代が続いている。

これら本人自身が理由をつかめない伸び悩みの原因は彼女らの高校時代輝けた理由となっている走りの特徴と筋肉及びに身体の変化の関係性が一つ考えられる。

小学生からの同級生であるYさんもそのうちの一人だった。
小学生時代、中学生時代通じて短距離はともかく800m以上の距離で彼女に勝てたことがなかった。
貧血検査では常に貧血と診断され、筋肉もほとんどなくその他のスポーツにかんしては決して得意ではなかった彼女が何故速かったのか当時は全くわからなかった。

誰よりも細い身体でリズミカルに腕を振り下ろし、風に背中を押されているかのように走る彼女は高校一年生で国体を制し、その世代のアジア大会でもメダルを獲得し、高校からそのままリオ五輪でも多くの選手が選ばれている実業団へと進んだ。

ただ、小、中、高と別格な走りを常に続けた彼女も社会人で高校時代以上の走りをすることもなく引退してしまった。

彼女を含め、屈強な男子選手よりも速く走りことができる女子選手は共通の走り方をしているがその走り方を支えるある筋肉が18歳以降年齢とともに硬化していき、本人も理由をつかめない伸び悩みがおきはじめる。

本人も周りの指導者も理由がわからないのでその不安から調整不足、練習不足と思い込み(また高校時代にストイックに練習をしていた選手ほど周りから大学生、社会人になって練習量が減ったと指摘されやすく)そのため更にオーバートレーニングとなり、怪我を繰り返す悪循環となることが多い。

特にそに筋肉の硬化とともに走り方そのものが地面からの反発を受け取り弾むような走りから地面を蹴るような走りへと変わってきてしまい走れば走るだけ速くなっていた選手が走るだけ怪我をしてしまう選手へと変わってしまう。

硬化とオーバートレーニングの悪循環は今までキツいながらも何処かに楽しさ、快適さがあった走りをおもたく、しんどいものへと変えていき、その中で怪我も増えていくので選手と競技そのものをどんどん遠ざけていってしまう。

今、大学・社会人でこの状況にない数少ないチームの一つが大阪成蹊大学だが他のチームとの大きな差は他チームが体幹トレーニングやピラティスで停滞している中、体幹トレーニングでとどめずこれまである筋肉と書いてきた小胸筋へのアプローチを動的なトレーニングで実施していることが大きい。

高校時代から結果を出している女子選手の多くは〈昔考えられていた腕の振り方の基本である腕を肘を中心として前後に振る〉のではなく、〈腕をトップから真下にまっすぐ伸ばすように振り下ろし、その余力で多少手が後ろにいった後に反力で自然とトップ位置に戻り、(そのためトップの位置は低いいちに保たれる)そこからまた振り下ろすの繰り返し〉をしていてこれによってみための筋力はなくとも前に無駄なく進む力、上体の力を地面に上手く伝えそれによってみえない軸をつくりブレない走り、腕の振りと体幹、骨盤の連動によって蹴るにではなく弾むような走り実現している。

ただこの走り方は、小胸筋が硬化していると多くの人が「女の子走り」「ペンギン走り」として悪印象を持つ走り方にとどまり、小胸筋が硬いことで地面の反発を得ることはできず、脚で強く蹴らないと走れない状況生み出す。

小胸筋の硬化がないと腕を振り下ろす動作と連動して骨盤が前に入り込み足の歩幅(ストライド)は勝手にひろがりをみせるが硬化していることでこのカラダのオート機能が使えず感覚として走ることが重たい動作となっていく。

多くの女子選手は高校卒業以降、この小胸筋をはじめとした胸郭の筋肉が時とともに自然と硬化していく中、そこの筋力トレーニングはしてもそこの柔軟性を取り戻す、向上させるトレーニングには触れておらず、不調、伸び悩みの理由を別のところで捉えてしまい、感覚を取り戻せぬまま競技から離れてしまっているのが日本の大きな損失となっている。

福島千里選手もこの数年の走りを見る限り実はまだ小胸筋をはじめとした胸郭の筋肉はアプローチの余地があり、ここのトレーニングをすることで今よりももう少し骨盤が腕を下す動作との連動で前に前にいけるようになるので今後の進化をいちファンとして楽しみにしたい。

そしてこの小胸筋へのアプローチを最も可能にするアイテムが一点歯下駄であ、一本歯下駄GETTAとなっています。