文化身体論の構築に向けての一考察 〜伝承的身体の再現性に着目して〜

宮﨑要輔

要旨

1. 緒言・研究目的

 

本研究は、身体文化、身体技法の分析からの拡張、身体化で留まっていた身体文化論から脱却し、文化身体論という形で、道具の拡張、身体化の先にある「型」を文化資本として身体化し、再現性、再帰省あるものとして構築したものである。

 

緒言においては、身体運動におけるトレーニングにおいて、同じ「形」の動きでも生じる固有差が、「間」や「型」によって証明できる可能性である。これらを身体の動きとして組み込むことが、伝統的な身体文化、身体技法を再現性あるものとする可能性について論じた。

 

先行研究では、哲学者であり、身体論者である市川浩(1990)の「身分け」と「身分けされる」といった道具や文化や歴史を身体化させていく自己組織化システム、教育哲学者の生田久美子(1987)が伝統芸能の伝承の中で見出した「わざ言語」のように、哲学及びに認知領域から身体文化論を明らかにしようとする視座と芸道の身体技法を研究する矢田部英正(2011)や教育学者の齋藤孝(2000)のように、過去の写真等の資料を読み解くことで、失われた身体文化、身体技法が如何なるものであったかという分析を行う視座があることを明らかにした。

 

2.考察

 

第1章では、日本人の日常から失われた身体文化、身体技法にはどのようなものがあるのかを明らかにした。身体観においては、現在のように解剖学的に各部位を細部化して捉えるものと違い、身体の各部位に対して広く曖昧であった。そして、近代以前の日本人の姿勢や体つきに多くみられる特徴として、なで肩の猫背で「みぞおち」部分はへこみ、顎は少し上向きに突き出されており、現在の日本人の姿勢や体つきとは異なるが、身体文化論として、そこに「善さ」が認められていた。身体文化論で広く論じられてきた道具に、足半や下駄がある。こうした道具の分析から、歩行などの身体技法が現代のものとどう異なり、如何なるものであったかが表象されている。そして、なんば歩きに代表されるように、現代の動きと比べ、身体全体による動きが伝統的身体文化、身体技法であるのことが明らかとなっている。

 

しかし、身体文化論は、社会世界の構造が身体化したものであるハビトゥスに包括されている西洋化を捉えることができていない。そのため、西洋化によるハビトゥスの再生産の問題は置き去りにされ、身体文化を実践する上での界(Champ)も不在なため、西洋化によるハビトゥスの再生産に歯止めをかけることができず、身体文化論は身体文化、身体技法の再現性の低いものとなっている。ここに、限界が存在するのは明らかである。

 

第2章では、西洋化によるハビトゥスの再生産に歯止めをかけるものとして、仮想的界を提示した。そして仮想的界には、伝承によって伝統的身体技法が保存されている能楽が仮想的界として適任である根拠について、その歴史的背景や剣術との結びつきを明らかにした。更に、仮想的界の補完として、足半や下駄のように、伝統的な身体文化、身体技法が機能的保存された伝統的道具を論じた。文化人類学者の川田順造(2014)が論じたように、日本の伝統的道具は、人間依存の特徴を持つからこそ、過去の身体文化、身体技法の機能的保存がみられる。ただし、矢田部が論じたように、西洋化によるハビトゥスからの実践では、これらを身体化することはできない。そこで、重要になるのが、道具側の働きかけからの思考化、意識化、さらにいえば工学の立場から身体知の研究をしている諏訪正樹(2016)の論じた「からだメタ認知」などの「ことば」と体感を結びつけた意識的な反省による実践である。こうした実践が、ハビトゥスにあるヒステレシス効果をおこし、道具の中にある機能的保存された身体文化に沿ったハビトゥスへと変容させていくことを明らかにした。

 

章では、第2章において、論じた「伝承的保存のある仮想的界」、「機能的保存のある道具」、「道具と身体との関係を紐付ける『ことば』による身体知を高める行為」を前提として、機能的保存のある道具をより、文化資本として高める理論構築について明らかにした。「暗黙知」概念の近位項における実践としてオノマトペの採用は、文化人類学者の菅原和孝(2004)が、身体配列の概念として提出した「身体化された思考」のように、身体感覚と道具を言語記号と共に記録して身体化するものである。これら、実践の先にあるのが西村秀樹(2019)の論じた身体感覚の二重構造である。西村の論じる身体感覚の二重構造とは、心と身体を区別して、それぞれに役割を持たせるのではなく、身体感覚として心と身体を統合した上で、「身体に留まる身体感覚」と「身体の外へと転移していく身体感覚」という二重性が「無心」の中での同調と応答の同時性を成立させ、生成を繰り返す循環を成立させるのである。

 

この生成活動のある実践の先にあるのが「間」の発見、会得である。この「間」は、伝統芸能や道具の中に保存され、内在していた「間」である。身体感覚の二重構造の働きから、心、身体、環境、歴史、比喩表現から起こる動作といった実践に関わる全ての事柄が包括されていき、それが「間」への気づき、そして、この「間」が、「無心」の領域である「型」の入り口となっているのである。実践者は、「間」を自らの競技に応用して落とし込んでいくことで、自らの競技における「型」、その競技のトレーニングにおける「型」をみつけていくことが可能になる。このように、文化身体論は、「間」と「型」を分析するのではなく、「間」と「型」を文化資本として身体化させることが明らかとなった。

 

3. 結論

 

従来の身体文化論では、身体が先行したものであった。そして、道具の身体化は、あくまでそれは西洋化によるハビトゥスの中での身体化であった。それに対し、文化身体論は、伝統芸能や道具の中にある伝統的身体文化、身体技法を文化資本として身体化させていくものである。

この文化資本の到達点こそが「間」と「型」であり、文化身体論の実践とは、この文化資本の到達点を身体化させるものである。そしてこの「間」と「型」という文化資本の到達点は、野球界、陸上界と各々の界に持ち込むことができ、闘争やゲームを有利に進めるものとして応用することができる。従来、文化資本は家族の経験、地域性などの生まれ育った環境依存であった中、文化資本を後天的に獲得し、界での闘争やゲームに持ち込める理論が文化身体論である。だからこそ、伝承的身体の再現性に着目し、文化身体論の構築に向けての視点を持つ更なる研究が必要であると結論づける。

序論

1. 緒言

元来、日本の文化にはさまざまな「型」があった。

「型」の研究を行う大庭良介は以下に述べる。

 

「日本における古武道では、ほぼすべての流派に独自の型とその組み合わせである型体系が存在し、修行者は型を通じて稽古を重ねる」

(大庭,2021:16

 

日本における古武道では、ほぼすべての流派に「型」が存在していることを論じている。さらに、評論家であり、伝統文化における技術の伝承についての研究家でもあった安田武は、日本文化のなかに存在した「間」と「型」が、日本の日常に薄れつつあることを指摘している(安田武,1984:50)。この日本の日常に薄れつつある「間」や「型」であるが、大庭は「型」について、下記のように論じる。

 

「『型』は、武道では決められた一連の動作から構成され、それぞれの武道の核心となる技・業を伝える教範である。伝統的な芸能や医学にも見られる叡智の表現と伝達の方法であり、東洋に特徴的な事物へのアプローチといってもよい」(大庭,2021:3

 

このように「型」が叡智の表現と伝達の方法であるとすれば、身体運動におけるトレーニングやトレーニングメニューといった同じ「形」の動きでも生じる個人差、固有性の差は、素質や才能と考えられてきたものとは別に、「型」によって証明できるとも言えるのではないだろうか。

教育哲学者の生田久美子(1987)は、伝統芸能の学習者の動きの習得度合いにおいて、一見同じような動きにおいても「形」と「型」の違いがあることを論じている。さらに生田は、「型」には「間」が存在しているとも論じ、この「型」と「間」への考察についてマルセル・モースの身体技法の中核概念である「ハビトス」[i]の概念を用いて、身体運動を解剖学的、生理学的な観点を超えて、心理学的、社会学的考察の必要性があることを指摘している(生田,1987:25)。

この「形」と「型」の違い、「間」の存在する「型」というのは、生田の論じた伝統芸能や武術、武道の世界だけのことではない。例えば、野球の素振りにおいても「形」の素振りと「型」の素振りが存在しているという仮説である。生田に従う「形真似でしかない型なしのハビトスの傾向性の素振り」と「型と間のあるハビトスの傾向性の素振り」の違いが、同じトレーニングの反復であっても大きな違いを生んでいるのではないかという可能性である。能楽を室町時代に大成させた能楽師の世阿弥や日本舞踊井上流3世の井上八千代(片山春子)がそうであったように、「間」と「型」がある動きには、抑制の美しさが存在し、見るものを魅了する。小さな動きの中にも奥行きのある動きがそこには存在する。身体文化、身体技法への取り組みは、この「間」と「型」への取り組みとも言えよう。

現代の生活の中で薄れている「間」や「型」を身体や動きの中に組み込む、すなわち、伝統的な身体文化、身体技法を再現性あるものにすることは、人々の生活に根づいた文化として、現代の身体文化・身体技法以上の可能性を持つのではないだろうか。

 

2.本研究の射程

 本研究では、文化身体論の構築において、能楽のように身体文化が伝承的保存をされている伝統芸能、足半(あしなか)や一本歯下駄、尺八のように身体文化が機能的保存をされている道具に着目し、これらに保存されている身体性との相互作用によって表象される身体を、文化身体論という新たな枠組みで構築していくことを目的とする。すなわち、本研究が目指すところは、これまでの身体文化論研究のように、数百年前の日本人の歩き方といった身体文化、ならびに身体技法の形式(形)への着目に留めることではない。伝承、そして、道具に内在する文化がどのように身体との関係の中にあるかを分析し、再現性ある実践の足がかりとするものである。

 

 

3.身体文化論の視座と系譜

身体文化論を代表する研究の中で、身体と道具、文化について論じているものが、哲学者であり身体論者である市川浩による『精神としての身体』(1992)『「身」の構造』(1993)である。市川は、精神と身体とは同じシステムの両面を成し、両義的であるため、その両義性を表すことばとして「身」を用いた。市川の「身」の捉え方は、身体と道具、文化が如何にして互いに作用していくのかを考える上でおさえておきたい内容である。市川は「身」について下記のように論じている。

 

「『身』は単なる身体でもなければ、精神でもなく、しかし時としてそれらに接近する精神である身体、あるいは身体である精神としての「実在」を意味するのである」(市川,1993:8

 

市川の「身」の特徴は、身体と精神とを区別しないだけではなく、両者がシステムを成すものと認定しているところである。身体と精神が独立しているのではなく、互いに生成・消滅を繰り返す自己組織システム論[ii]の考え方である。この「身」の概念は、道具を使う際の体感などの「感覚」といった不透明性のあるものを捉え、身体パフォーマンス[iii]の向上に繋げていける可能性を持つ。

市川の言う「身分け」と「身分けされる」(市川.1990:117)とは同時に起きるという考えも、身体文化を考える上で着目したい。市川が論じるところによると、「身分け」と「身分けされる」とは同時に起きるとは、われわれの身体はある動作を通して、意味ある世界を生み出すとともに、同時に意味ある世界によって身体が意味づけられているということである。つまりは主体と客体もまた同時性であることを意味する。このように、市川の身体論の核としてあるのは、両義性であり、同時性である。そして市川の論じた同時性には、身と文化、歴史も含まれており、市川は下記のように論じている。

 

「ピアノを弾く人は、ピアノの鍵盤を身体図式のうちに組み込み、ピアノ曲の解釈の歴史、演奏法の伝統をも潜在的な身の統合のうちに包みこんでいます。身は解剖学的構造をもった生理的身体であると同時に、文化や歴史をそのうちに沈殿させ、身の構造として構造化した文化的・歴史的身体にほかなりません。つまり身体は文化を内蔵するのです」(市川,1993:59

 

ここで市川は、身体は皮膚の内側で完結するものではなく、皮膚の外まで拡がり、文化や歴史をはじめとした世界の事物と入り交り拡大していくものであると説明する。道具を使う際、身体は道具を「身」のうちに入れることでそれまで自身の「身」の中で沈澱された文化とかけ合わせて自己組織システムを進めていく。それと同時に道具の中にも身体としての認識を拡げていき、道具を身体化していく。道具の身体化について市川は盲人と杖を例に挙げている。目がみえない盲人は、杖を物質ではなく、触覚としての感覚を持つようになり、盲人は杖を身に組み込み、身体化しているということである。このように、市川は道具の身体化について「身」の概念を用いることで明らかにしていった。

市川と同様に身体と道具の関連性に着目したのは、日本の修行・芸道の身体技法を研究する矢田部英正(2011)である。矢田部は、身体技法がかかわる日常動作と道具、住居をはじめとする物質文化と身体の関連に目を向けた。矢田部は履物と歩行様式、和装と身構えといった関連性からくる身体技法の大半が、履物や服飾の変化も含めた西洋化によって、すでに日本人の日常から失われていると論じている。そのうえで、武芸者たちの伝える「気の扱い」や「呼吸法」「内観」「骨をとらえる」等の技法に身体の自然性があることに着目し、失われた身体技法の再生の糸口としている。

市川、矢田部が身体と道具の関連性に着目したのに対して、教育哲学者である生田久美子は、伝統芸能における技の教授と習得に着目し、「わざ」の教授において、そこから「わざ言語」をみつけ出した。生田は指導、教育の視点から伝統芸能という文化を考察しているが、その考察は、視点の出発点は違うものの下記の生田の語りのように、市川の「身」に通じる点が存在する。

 

「『わざ』の習得プロセスにおいて、学習者は『形』の模倣を繰り返すうちに、次第にその『形』を、師匠の価値を取り込んだ第一人称的な視点から眺め始め、他の『形』との関係のなかで吟味していくようになる、と述べたが[iv]、『わざ』言語の役割は実に、学習者のこうした内的な対話活動を活性化することにあると言えよう。つまり、比喩的表現によって、学習者の内側からの原因への探索が促されていくのである」

(生田,1987:99

 

生田が論じる「師匠の価値を取り込んだ第一人称的な視点」、「学習者のこうした内的な対話活動」というのは、市川が論じる「身分け」と「身分けされる」が伝統芸能という文化の中で起きているということが伺える。市川の「身分け」と「身分けされる」は、「身体はある動作を通して、意味ある世界を生み出すとともに、同時に意味ある世界によって身体が意味づけられている」というものであったが、生田の功績は、それが「わざ言語」によって促進されているという発見である。市川の論をおさえた上で生田の論を引用していくと、市川が論じた身体と道具で起きていた生成論、自己組織システムは、身体と伝承、伝承の中にある言葉においても起きていると考えられるのではないだろうか。また生田は、学習者の発信者(師匠)からの学びについて下記のようにも論じている。

 

発信者の意図を斟酌しながら、自分が今まで身体全体で貯えてきた知識とそれとを無理に対応づけて考えるようになる。そして、二つの事柄の間を往復運動することによって、自分が今まで貯えてきた知識、古い知識と比喩とを関連づけながら、新しい知識を獲得すること、つまり真の理解に至ることができるのである。(生田,1987:103

 

この発信者(師匠)が発した言葉の比喩と学習者自身の「身」という二つの事柄の間を往復させることで関連付けが起こり、真の理解に至る生成が進められるという生田の論は、市川の論じた身体と道具で起きていることと共通点がある。すなわち、市川は、「身」は文化や歴史を沈澱し、内蔵するものと論じているが、生田の「わざ言語」は、学習者の「身」に文化や歴史が沈殿されていない状況において、それらを沈澱させていく方法の手がかりがみられる。

教育学者の齋藤孝は、日本の伝統的な身体文化を「腰・胎(はら)文化」と考え、腰や胎の身体感覚を文化によって身につけ、身体感覚の技化を遂げてきた日本の伝統について、坐や歩行様式という行為を技として持っていた日本人の伝統的な身体文化の考察から、現代の日本において衰退している身体技法がなんなのかを明らかにしている(齋藤, 2000)。

齋藤によると、衰退している身体技法の事例の一つとして、縄を締めるなどの力をこめて凝縮させていく身体感覚からくる身体技法全般をあげている。齋藤によれば、毎日、褌(ふんどし)を締めたり帯を締めたりしていた生活では、締めるというのはもっとも基本的な日常動作であり、技であったという。現代では、生活の中で締めるということが衰退し、褌や帯を締める技法だけでなく、その身体感覚も衰退しているというのである(齋藤, 2000:78-81)。

また、齋藤は身体文化における道具と身体感覚の事例として、鍬や天秤棒といった道具を使いこなすために、その道具に適した身のこなしとして身体感覚が蓄積され技化されたコツが存在し、コツを掴んでしまえば筋力の少ない子どもでもコツを知らない大人よりも上手に天秤を担ぐことができると論じ、筋力や身体の大きさを重視する身体運用とは異なる身体技法が道具との結びつきの中にあると論じている(齋藤, 2000: 49)。

齋藤は更に「背負う」という行為について言及することで技化されたコツについての内容を深めている。齋藤によれば「背負う」とは「腰を入れる」「足の裏の踏ん張り方」「膝の余裕のある曲げ方」という3つの技の複合技であり、複数の道具とコツの関連性からこうした複合技が存在しているという(齋藤, 2000: 82-86)。つまり、「背負う」という複合技は草履の鼻緒からくる足の踏ん張りの利き、帯からくる腰肚をまとめる感覚が相互に結びついて可能になっていることを論じている。

矢田部、齋藤の論考では、生活の中で文化とともに徐々に合理的となっていったはずの身体が、現代においては生活の変化の中で合理的な身体から離れている現状が指摘されている。その上で過去の写真等の資料を読み解くことで、失われた身体文化、身体技法が如何なるものであったかを論じている。市川、生田の論考は、失われた身体文化、身体技法が道具や伝承、伝承の中にある言葉を手がかりに身体化していく可能性を示唆している。このように、これまで身体文化論として行われてきた研究は、矢田部、齊藤のように、生活の変化の中、失われた身体文化、身体技法を明らかにしていく視座と市川や生田のように、哲学及びに認知領域から明らかにしようとする視座が存在する。



<注釈>

[i] 生田久美子(1987)は、社会学者マルセル・モースのハビトス概念(Mauss,1976:127-128)をハビトスと表記した。本論考でも、モースのハビトス概念をハビトスと表記する。モースによると、ハビトスとは単なる動作の記述ではない。威光模倣について、モースは、威光ということの概念の中に社会的要素があり、模倣行為の中にすべての心理学的要素と生物学的要素が見出されると論じる。なお、後述の社会学者ピエール・ブルデューのハビトゥス概念についてはハビトゥスと表記する。

[ii] 自己組織システム論は、身体と精神とを区別せず両者がシステムを成すと認定し、このシステムが絶えず生成・消滅していると捉えるシステム論である(亀山,2010:43)。

[iii] 身体パフォーマンスとは、実践において、身体が持つ力を引き出すことを指す

[iv] 生田久美子は同書(1987:99)で「師匠の価値を取り込んだ第一人称的な視点」と前述している。

第1章 身体文化論の限界

本章は、身体文化論において論じられてきた身体文化、身体技法にはどのようなものがあるのかを明らかにし、身体文化、身体技法が再現性あるものとして社会化されないのは何故かを考察する。そして、身体文化論における限界について論じる。

 

1.1.身体文化とは何か 

 人々が知らず知らずのうちに身につけている社会ごと、民族ごとに固有な振る舞いの形式を、マルセル・モース(Mauss,1976:121-156)は「身体技法」と名付けた。社会や民族において永い歴史を通して培ってきた「身体技法」は、身体文化の一要素である。日本において日本の身体文化として論じられる多くは、前述の齋藤孝(2000)、日本人固有の身体技法の合理性を探究する内田樹(2014)、能楽研究者の松岡心平(1991)が論じるように、多くの場合、鎌倉期から昭和初期まで(近代以前)にみられた日本の伝統的身体技法に起因する。身体文化を昭和初期までにみられたものと定義がなされるのは、矢田部(2011)が論じるように、履物や服飾の変化も含めた西洋化により、すでに多くの日本人の日常から、その身体技法が昭和初期を境目にして失われていることがあげられる。そのため、今日までの身体文化研究においては、日本人の日常から失われた身体技法とは何かということに多くの視点が注がれてきた。

そこで、身体技法とは異なる身体文化の一要素として、日本人独自の身体観があげられる。能楽師の安田登(2014)によると、その身体観は、現在のように解剖学的に各部位を細部化して捉えるものと違い、例えば「膝」と言えば現代の私たちが想起する膝頭ではなく、太ももの前側全体を指し、「肩」と言えば、肩峰のみならず首肩まわりの界隈を指すように身体の各部位に対して曖昧なものと述べる。また、安田は身体に限らず自己と他者の空間の曖昧さも、日本人の身体観の特徴として論じている。さらに、こうした曖昧な身体観に関して、相撲を研究領域とする元力士の松田哲博は腰について下記のように語っている。

 

「腰腹部はもとより股関節や骨盤、仙骨、丹田、骨盤底筋、横隔膜までをも含み、さらには肉体のみならず心の状態まで表していました」(松田,2021:14

 

このように、現代とは異なった身体観が身体文化の根底には存在しており、実際に武術稽古をもとに身体論を展開している作家の尹雄大(2014:47)が論じたように、この身体観の違いは、物質の重さの感じ方として、所作に影響を及ぼしている可能性が考えられるのである。

西洋化以前の身体文化、身体技法の残る時代における写真や資料の中には、現代社会の身体観からは説明ができないものが存在している。身体文化論では、こうした写真や資料をもとに、西洋化以前の日本人が備えていた伝統的な身体技法や身体観が失われてきたと論じられてきた。しかしながら、その日本人の日常から失われた身体技法の形態の枠組みを超越、もしくは逸脱することはなかったことが指摘される。

          

1.2.身体文化論における姿勢、道具、動作

近代以前の日本人の姿勢や体つきをみていくと矢田部が指摘しているように、「洋服の似合う身体」(矢田部,2011:26)を価値基準として判断している現代の私達とは違った身体が浮かび上がってくる。資料集『百年前の日本−モースコレクション(写真編)』(小西四郎・岡秀行編,2005)に掲載される100年以上前の写真から、日本人の多くは、なで肩の猫背で「みぞおち」[i]部分はへこみ、顎は少し上向きに突き出されていることが確認できる。アスリート専門の施術家である小山田良治は、この顎を少し上向きに突き出している姿勢について以下の様にその優位性について述べている。

 

「眼球の上下運動に関与する筋がリラックスした状態なので、眼球を左右上下に素早く動かすことができ、胸鎖乳突筋など鎖骨に付着する筋も開放されているこれによって、反射的に身体を動かしやすい状態にすることができるんですね。その結果、脊髄反射が俊敏に行われるわけです」(織田・小山田編,2011:104

 

また、「みぞおち」について齋藤(2000:176)は、日本の身体文化の中で重要なポイントであるのが「みぞおち」の柔らかさであるとし、矢田部(2012:30)は現代でいわれる「胸を張る」は「みぞおち」を圧迫し、腰が抜けてしまうと指摘し、「胸を張る」や「背筋をのばす」意識は、姿勢として身体を緊張させる不自然なものだと論じている。このことについて、解剖学的にも西洋的な良い姿勢は日本人にはあまり合わないということを安田登が下記のように指摘している。

 

「日本人は腰方形筋が短い人が多い。腰方形筋が短い中で西洋的な良い姿勢で腰に負担をかけている」(安田,2018: 119

 

安田は、さらに腰方形筋が短い日本人に適した歩き方についても指摘している。ふくらはぎが細く、腿もそれほど太くないがお尻が発達して描かれる中世の絵巻物から、中世の日本人は、お尻と大腰筋などの深層筋を使って歩いていたと述べる(2018:120-123)。

現代と少し違った姿勢や体つきをしていた日本人であるが、身体文化論で論じられている道具にも特徴が見られる。その中でも、特に重点的に論じられている道具が、踵部分がない形状の草鞋である「足半」である。「足半」は文字通り足の半分しか台座の寸法がない日本独自の履物であり、台座の踵部分や足指部分がない。すなわち、踵も爪先も台座からはみ出して履く草履となっている。人類学者の近藤四郎(1979)を始めとして、数多くの研究者に取り上げられている履物でもある。

 

「わが国在来の重要な履物として、足半をあげておこう。足半は読んで字のごとく、台部が足の長さの半分ぐらいの一種の草履である。鼻緒をすげて、前鼻緒を台部の裏で結ぶ普通の草履とはちがって。足半は台部のなかを走る芯緒を台の先端から引き出して、横緒に結ぶ。したがって足半を履くと、足ゆびが地面にはみ出して地面をつかむことができる。また芯緒が前鼻緒として横緒に結ばれるから、どんなに爪先に力を入れても鼻緒が切れるということがない。さらに、藁でできているから、水にぬれても泥道を歩いても、すべることがなく、台部が短いことは尻はねをおこさない。このように足半は活動に適しているので、早くから武士に重宝され、鎌倉時代の『蒙古襲来絵詞』や『春日権現霊験記』などに見えている。当時、戦場までは草履で行き、戦闘に入る前に足半に履きかえたことも知られていて、足半は跳躍によく、また転倒を防ぐための昔のスパイクであったということができよう。こうして武士にもっぱら愛用された足半は、江戸時代に入ると農村漁村で農漁民が用いるようになった。足半のもっている働きのよさが、ようやく農作業、魚とりなどにひろがり、戦前はよく見かけたものだが、今では鵜飼いのとき鵜匠が履いているのを見るぐらいになってしまった。なお、上野公園の西郷さんの銅像[ii]は、足半を履いて犬を連れている」

(近藤,1979:189

 

さらに、歴史学者の高橋昌明(2007)は以下に述べている。

 

「鎌倉時代後半の絵巻物には、足半を履く武士の従者の姿が描かれている。「足なか」の語も室町時代後期の『今川大双紙』に初めて現れる。当時は武士が戦場で履いた。神沢貞幹の随筆風百科全書『翁草』(安永元年〈一七七二〉刊)に、「軍中履物の事(中略)戦ひにては皆足半を履く事也。其所以は働の間に草履の中へ土砂入て働のさまたげと成る也、各足半を履く事也」とある。つまり、普通の草履では、足の裏との間に土砂が入って、戦場における活躍のさまたげになるからという。これも足半の効用として大事な点だろう」(高橋,2007:73

 

 前述の矢田部英正(2011)も足半に関して言及している。

 

「足半は戦国武将のなかでも織田信長がとくに好んだことが知られていて、いつも信長は腰に数足の足半を提げていたことなども伝えられている。―――(中略)―――足半には、日本人の歩き方を知る上で、ある典型とも言える特色が集約されているように思われる。まず「踵がない」ということ自体が爪先に体重をかけて歩くことを自明のものとして伝えている。実際に足の全半分だけに履物を着けると、他の日本の履物と比べても、足先で地面をとらえ、強く踏ん張る感覚をより明確に意識することができる」(矢田部,2011:71-72

 

このように足半は、現在のスポーツにおけるスパイク的な役割として武士が戦場で好んだ履物であり、農作業などの日常の場面でも好まれた履物でもあった。近藤、高橋、矢田部の他にも身体文化、身体技法との関連が指摘されている(川田順三,2014;木寺英史,2020; 高取正男,2021)。足半と同じように、身体文化、身体技法との結びつきについて論じられてきたものが下駄である。矢田部は下駄を履いて歩くことについて下記のように指摘している。

 

「下駄は、自ら意識して足を前に出そうとして歩くのではなくて、身体を前に傾けると、足は後から連られるようにして、自然と前へ出る仕組みになっている。そうすると鼻緒にはほとんど負担がかからず、長時間歩き続けたとしても足指の皮がずり剥けるようなことにはならない。」(矢田部,2011:74

 

下駄は、現在の多くの日本人による歩き方では歩き難く、歩けたとしても「鼻緒ずれ」で足部母指と示指間(いわゆる、親指の付け根)に痛みを発生させる履物である。下駄に限らず、伝統的な履物を履いたときの日本人の歩行に関して、身体文化論の研究者である木寺英史(2020)が言及している。

 

「伝統的な履物を履いたときの日本人の歩行に関しては、一般的につま先に荷重することが強調されていますが、私はかかと荷重の歩行も誘発したと思うのです。草履や下駄を履くと、鼻緒を足の親指と人差し指ではさみます。足指を曲げ効率よく鼻緒をはさむことができるようにするためには、かかと付近に荷重する必要があるのです。そのため、かかとを踏みしめる歩きが容易になると考えられます」(木寺,2020:96

 

前述の松田は、昭和初期における力士の身体技法に言及する。

 

「ぶつかりげいこで押す場合、かかとを土俵につけたうえでツマ先に十分に力を入れて押すようにしなければならない」(松田,2021:156

 

さらに、松田は、現代力士の立ち合いについて、踵を地面からはなしたつま先立ちで力を出していると指摘した上で、昭和初期における力士は下記のようであったと指摘する。

 

「立合い当たるときや押すとき、寄るときにつま先立ちで力を出している力士はなく、足裏全体、特に足のインエッジ(内側のライン)を使うのが一般的です」

(松田,2021:174

 

現代日本人に多く見られるつま先か踵どちらかに荷重をかけて蹴る動きではなく、木寺も松田も身体文化論としての動きは、つま先にも踵にもどちらも充分に荷重をかけた足裏全体のものだったと指摘しているのである。

そして伝統的な履物を履いたときの日本人の歩行において、複数論じられている歩行がなんば歩きである。なんば歩きについては、様々な説が存在するが、前述の高橋は下記のように紹介している。

 

「常歩は両足の立ち幅を骨盤幅に保ったまま、身体に左右二本の軸を置く。そして、両足は二直線のうえをそれぞれ通過する二軸動作の歩行法である。つまり体幹をほとんどねじらない。この歩行では、着地した足が前に出るとき、同じ側の肩・腕が同時に前に出る。着地と離地は地面を蹴る感覚ではなく、足裏全体がぱっと一瞬に離れる感覚となる。つま先とかかとで地面をつかむ感じだから、足はガニ股、また左右の軸へのスムーズな重心移動のため、膝はやや曲がり腰は落とし気味、あごも少し上る。こうした動きは、相撲のすり足、空手の蹴りや突き、能・歌舞伎などの伝統芸能などの所作などに今も残っており、日常では五歳ごろまでの幼児の歩き方に見られる」(高橋,2007:71

 

高橋が紹介したように、なんば歩きは「地面を蹴る感覚ではない」という部分は、矢田部が指摘した下駄での歩き方と通じるものがあるように、なんば歩きは、齊藤(2000: 82-86)の論じた複数の道具とコツの関連性からなる複合技である。このことからも身体文化、身体技法の再現性における習熟度の目安として、なんば歩きは適切ではなかろうか。

そこで、なんば歩きについて、武術家の甲野善紀は下記のように身体全体での動きであることを強調して紹介している。

 

「この『ナンバ』という身体の使い方は、逆の手と足を出す歩き方、走り方とくらべて、より複雑な背中や胸の使い方を必要としますから、より身体全体で走るという動きの要素を持っているんです」(甲野,2003:248

 

なんば歩きのように、身体文化、身体技法には、現代の動きと比べ、身体全体による動きがいくつかみられる。松田は大正時代以前の四股について下記のように論じている。

 

「武道では、日常の動きをスピードアップするのではなく、10工程の動作を5工程、さらには3工程へと詰めていくのが武術的な動きを体現することだといわれています。運動神経や反射神経に頼ることなく、動作自体を少なくすることで、スピードではない早さを体現します。予備動作を極力排し、全身を一つにつなげ、足の上げ下げを重力を利用して一調子で行う、そういう四股が武術的な動きにつながるのです」(松田,2021:7

 

松田は、大正時代以前の四股は予備動作を極力排し、全身を一つにつなげたものであるからこそ、工程を詰めていると論じる。逆に現代の四股やトレーニングというものは、右足を上げ、左足に荷重をかけ、右足をさらに高く上げ、そこから右足を下ろすというように、順序立てて、工程を増やすことに注力していると論じている(松田,2021:68-72)。

こうした松田の論は、安田が「膝」と言えば現代の私たちが想起する膝頭ではなく、太ももの前側全体を指していたと論じた、曖昧な身体感覚の身体観と通じている。身体を細分化し、動作を順序立てることで工程を増やす現代とは違い、身体を曖昧化することで身体全体を捉え、工程を減らし、思考も予備動作も少ない身体観である。なんば歩きにおいて、踏み出した脚側の肩や胸が後方に下がらず、脚と同時に前に出るというのも、松田の論じた、予備動作がなく、全身を一つにつなげた動作ではなかろうか。

失われた身体文化、身体技法の動きというのは、その多くが、現代のような順序立てた動きではなく、予備動作を必要とせず、動作を同時に行ない、身体は一体化されたつながりをもつ。これらは、曖昧であり、重さや捉え方さえも異なった身体観があるからこそ、存在していたものだと考えられる。

 

1.3.身体文化論に関する見解 

これまでの身体文化論の多くが、モーリス,メルロ=ポンティの「身体図式」[iii]Merleau-Ponty,1967:172-174)「習慣的身体」(Merleau-Ponty,1967:240-246)を前提として論じられてきている。身体図式とは、位置関係や距離感といった、空間をも含み、皮膚表面を越えて広がり、道具をもその一部に組み込んだ身体的経験の一つの要約(Merleau-Ponty,1967:173)である。そして、身体図式は、習慣などの繰り返される経験により、組み替え、更新されていく。こうして、習慣により身体図式が確立されたのが、習慣的身体であると述べる。

例えば、車の運転に慣れていくと、道路側と車幅を比較して計測をしなくとも、狭い道に車をすすめることができるというように、意図と遂行とのあいだの合致を獲得すること(,Merleau-Ponty,1967:242)によって環境と身体の間でわざ化[iv]されていく事が挙げられる。筋力や運動能力が優れた、運転免許取り立ての20歳のドライバーよりも、車の運転が習慣化されている60歳のドライバーの方が、運転はうまいという事が身体図式の上では起こる。運転が上手くなるための筋肉はここの筋肉であるというように、運転に関わる筋肉などが存在していたとしても、運転の優劣を左右するのは身体図式の方である。初心者は筋肉や意識で運転をするが、熟練者は身体図式で運転を行う。

この身体図式が車の運転において成立しているのは、私達が生きる社会において外を歩けば車が行き交い、家族、親族の誰かは車を運転しているといった具合に、車に乗ることが日常化された社会にいるからである。私達は車を運転することに対して、ある程度の運転の正しさについて共通認識が組み込まれた世界の中にいるのである。

 

1.4.身体文化論の限界

身体文化論で取り扱われる身体文化、身体技法は矢田部や齋藤が論じてきたように、名残こそあれ、社会の中では失われている。そのため、身体文化、身体技法においての正しさの共通認識が人々の中に存在していない。これにより身体図式、習慣的身体では、身体文化として成立が難しい状況にあるといえる。何故なら、身体文化を再現するための実践の際には、昭和初期以降の社会的環境の中で長い時間をかけて日本人が習慣的に獲得してきた西洋化によるハビトゥス[v]が関わってくるからである。

マルセル・モースが、ハビトス概念において、威光模倣による身体技法の意識的な習得を重視したのに対し、ピエール・ブルデューは、ハビトゥス概念として、歴史的無意識な刷り込みによる特定の傾向をもつものとした。本論考では、ブルデューの論じる歴史的無意識な刷り込みによるハビトゥス概念を用いるものとする。なぜならば、ブルデューの論じるハビトゥスは、その内に身体図式も含むものであるが、身体図式と異なる点も含めて、歴史的無意識な刷り込みが作用するためである。

矢田部が指摘したように、私達は正しい姿勢、正しい動きについての無意識的な判断を西洋的な正しさで行っているのではないだろうか。そして、それはすでに無意識的にハビトゥスとして身体に内在している。そのため、例え下駄を履いて近代以前の日本人の身体技法を獲得しようと実践を試みたとしても、多くの人は、己の中にある西洋化によるハビトゥスが再生産され、それが身体図式に組み込まれた実践になる。これは身体文化を実践する上での界(Champ[vi]が不在なため、身体、動作に対しての価値判断は、無意識的に西洋的価値判断を上位として包摂され、身体化されてしまうからである。この界(Champ)とは、芸能界、政治界、ボクシング界といった個別的な空間を指す。この個別的空間には、各々が境界をもつことによる歴史的個別性が存在し、個別に社会空間や他の界とは異なる価値観や規律が存在する。つまりは、諸制度という形で界の中に客体化された歴史が存在する(Bourdieu,2018:157)。

そのため、ここまで論じてきた身体文化や身体技法に関わる姿勢や動作、道具について、知識として知っていたとしても、多くの人々の最終的な実践は、西洋的価値判断によってなされる。このため、多くの人々はいくら身体文化論で論じられてきた身体技法を反復し、習慣化しても、身体文化のための界が不在な限りは、そのための構造も存在せず、実践の内容は次第に西洋化によるハビトゥスが再生産されていくのである。

このように、西洋的価値判断で身につけた西洋化によるハビトゥスを、実践が超えることができないため、身体文化論として論じられてきた身体技法は再現できなくなるのである。近代以前の日本人の姿勢や身体、また、道具との関連性がどれだけ明らかになろうとも、再現性があるものにならなかったのは、私達が西洋的価値観の中でハビトゥスを形成し、そのハビトゥスの再生産が存在しているにも関わらず、価値判断の形成を組み替える界が不在の中、身体図式、習慣的身体を前提として論じてきたからである。

ここに身体文化論の限界があるのではないだろうか。

 

 

 



[i]  みぞおちとは、人間の腹の上方中央にある窪んだ部位である

[ii] 正式名称は、上野恩賜公園西郷隆盛像 高村光雲 作

[iii] 身体図式(Merleau-Ponty,1967:172-174)は、元は神経学者、心理学者が用いてきた、身体の状態を知るための身体情報を全て含んだ概念(樋口貴広,2008:110)であったが、メルロ=ポンティは、身体的経験の一つの要約(Merleau-Ponty,1967:173)として概念を取り上げ直し、諸器官の外的な寄せ集めではなく、その諸部分が互いの中に包み込まれて存在している、一個の分割できない行動の図式とした(井上俊,2010:14-15

[iv] 本論考では、思考や意識を必要としない動作に関して「わざ」と表記し、「技」と区別する。本論考における「わざ化」は思考や意識を必要とせずとも、無意識的に動作ができるようになる状況を指す。

[v] 社会学者ピエール・ブルデューのハビトゥス概念には、共同体の歴史として、思考のカテゴリー、理解のカテゴリー、認識の図式、価値基準のシステムといった社会構造の内在化の産物が含まれる(Bourdieu,2018:89)。社会学史研究としてブルデュー研究を専門とする磯直樹は、通俗的に理解されたハビトゥス概念とは、習慣化された振る舞いと心的傾向を示そうとするものである。しかし、ハビトゥスとは社会的世界についての見方vision であると同時に区分division の原理であり、このようなハビトゥスが社会的世界を構成するという点が強調されなくてはならない(磯,2008:42)。と論じている。

[vi] 界(Champ)概念について、磯直樹は、界の内部にはルールが存在し、界の中へ参入するということは、そのルールに従うことを暗黙裡に認めることであり、諸々の界はそれらに固有の内的な発展のメカニズムによって有意な範囲として構造化され、境界を有するようになる。そして、外的な環境からは相対的自律性を確保することになる(磯,2008:39)。と論じている。ブルデューは界とハビトゥスの関係において、ハビトゥスの働きは内在的な性質にのみ依存するのではなく、界が異なれば同一のハビトゥスも違う効果を生むものに変容する(Bourdieu,2018:100)。と論じている。

第2章 文化身体論の伝承と機能

前章では、身体文化論で語られてきた身体文化、身体技法の再現性が社会化されない構造は、西洋的価値判断で身につけたハビトゥス、西洋的価値観から起こる西洋化によるハビトゥスの再生産が存在していることを述べてきた。これを乗り越えるためには、価値判断の形成を組み替えるための界(Champ)が必要とされることを指摘した。これまで身体文化論で論じられてきた多くの実践は、この界が不在な中で実施され、論じられていることに限界があった。そのため、正しい姿勢を取ろうとする時、身体文化論に沿った、顎を少し上にあげ、肩は肩甲骨のひろがりで少し前に出ることよりも、真逆な、胸を張ることを重視するような判断となる。過去に身体文化論で語られてきた身体文化、身体技法を正しいと思っている実践者も、界が不在である限りは、西洋的価値観からもたらされる西洋化によるハビトゥスが再生産されていくことを述べた。

それでは、価値判断の形成を組み替えるための界とはどういったものであろうか。本章では、能楽を事例として論じていくこととする。

 

2.1.文化身体の伝承的保存

2.1.1.能楽における伝承的保存性

日本を代表する伝統芸能であり、舞台芸術である能楽は、60年以上前の中世からの身体文化、身体技法を型によって脈々と受け継ぐ身体文化が伝承的に保存されている界(Champ)である。そこで、能楽の伝承について矢田部は以下に論じる。 

 

「知人の能楽師から教えられたことがある。室町時代から五十六代も続く芸能を引き継ぐその人は、袴の裾をからげて筆者に脛を見せ、『この馬蹄形の彎曲があることによって、板の間でも脛が当たらずに、長時間坐っていられるのです。この脚の形は一代では作れません。私たちは永い歴史のなかで、この体型を作り上げてきたのです』ということを教えて下さった」(矢田部,2011:11

  

さらに、社会学者の南果実は以下に述べる。 

 

「能役者の身体は、何世代にも渡る能にまつわる身体の記憶を伝承し、構造化していることにその特徴がある」(大野道邦・小川伸彦・南果実編,2009:40) 

 

能楽という界がいかにして型による伝承を徹底しているかについては、前述の松田が論じた話に要点が見られる。 

 

「師匠の元に入門して型を学びますが、その型についての質問は一切許されないそうです。型の意味を求めず、ひたすら与えられた型を繰り返す。そうすることによって、舞台の上で何百年前から繰り返されてきた型の意味が身体からにじみ出してくる。型に何百年も前から閉じ込められたものが舞台上で解凍され、観客に感動を与えることができるのです」(松田,2021:80)    

 

この松田の論から、能楽は、個人の主観が入り込むことを型の徹底により防ぎ、型の中に存在している言葉にできない意味を伝承していることが伺える。そして、能楽の身体技法は決して能楽という界に限定された身体技法ではない。南は能の構え、すり足は、日本の農業、宗教儀礼、武道などにおける身体技法を統合しており、能楽師は幾世代にも渡り伝承された身体技法を習得した「文化的・歴史的身体」だと論じている(2009:36-37)。

このように、身体文化、身体技法が型によって不変的に伝承されてきた能楽という界は、現代の西洋化された価値判断の形成を身体文化に沿うものとして組み替えるための界の代表例と考えることができるのではないだろうか。

 

2.1.2.能楽における身体技法

価値判断の形成を組み替えるための代表的な界としての能楽であるが、価値判断の基準として、能楽における身体技法が如何なるものかを紐解いていく必要があろう。能楽の代表的な身体技法は、腰を入れる構えとすり足である。これらを考察することで、能楽を通して伝承されている身体文化、身体技法をより明らかにしていきたい。

 先ず、腰を入れるという構えについてであるが、能楽研究者の松岡心平は、

 

「具体的には『腰の蝶番のところに緊張を集めて』立つことであり、『一本の線のように抽象化された歩きかた』である」(松岡,2004:225) 

 

と述べ、この構えがあるからこそ、すり足を可能にしているという。つまり、構えとは身体を一体化することであり、「すり足は身体を一体化していないとできない歩行の動きである」ということである。また、医学博士の立場から身体論を研究する佐藤友亮(2017)は、自著内で内田樹が論じたことは、能楽において、伝承が如何に徹底されているかを垣間みることができると述べる。

 

「この間、松岡心平さんにうかがった話ですけれども、能でも、今のような『構え』というものはなかったそうです。今は稽古のとき、立って、まず『構え』を作るところから始めるわけですけれども、昔は「構え」というようなものはなかった。ただ、立っただけでもうかたちができていた。能は中世の日本人の身体運用ですから、着物を着て、床に座って暮らしている人なら、どういう所作をしてもさまになる。でも、近代になって、洋服を着て、靴を履いて、椅子に座る生活をするようになったら、その生活での自然な構えではもうかたちにならない。だから、胸を落として、股関節を解放して、膝と足首を少し曲げるという『構え』を意図的に作らないといけなくなった。この場合は『中世日本人の身体』を教えるために型が存在するということになります」(佐藤,2017:213

 

能楽において代表的な身体技法である「構え」は、中世の人々における自然の構えであったというのである。そして、時代の移り変わりの中、人々の自然な姿勢が中世の姿勢ではなくなった際に「構え」という型が生まれたのである。

さらに、「すり足」の源流について松岡は「構え」と「すり足」を一体のものと考えた際の可能性として剣術からの由来を論じ、能楽と剣術の交流についても紹介している。

 

「禅鳳以来、金春家代々には武芸の嗜みがあったようで、この中から、柳生石舟斎から兵法の極意を授けられる金春氏勝のような武芸者が出たのである。金春家のみならず、室町時代の一線級の能役者が武士に近い存在であったことも忘れてはなるまい。禅をモデルとする精神集中というあり方において、兵法と能は近く、武芸者と能役者の実際の交流の中で、兵法の身体の能の身体への引用がおこなわれ、まず男性の『胴作り』としてのカマエが成立していったのではなかろうか、『カマエ』という言葉もまた,『正眼の構え』等の武道用語の転用にちがいなかろう」(松岡,2004:229

 

また、能楽師と剣術の交流については、文化人類学者の野村雅一と舞踊評論家の市川雅、儀礼、芸能に関する身体論を専門とする河野亮仙も論じている。

 

「当時、武士の中でも能を好む者が多く、とりわけ里が近いこともあって柳生一族と金春家の間には結びつきが強かった」(野村雅一・市川雅編,1999:212

 

このように、能楽を代表する身体技法である構えとすり足は、身体文化を型によって伝承しているとともに、剣術において有効さが認められた身体技法も取り入れたものであると言える。

 

2.1.3.仮想的界としての能楽

ここまで、能楽という界(Champ)がいかに身体文化、身体技法を伝承しているかを論じてきたが、多くの人にとって今から能楽師になるということも、能楽という界の中に身を置くことも現実的ではないだろう。そこで、仮想的界として能楽を頭の中に置くということで考察を進めていきたい。

これまでの身体文化論では、西洋化によるハビトゥスの再生産に対して歯止めをかけることのできる界について論じられずにいた。そのため、身体技法の実践時に、西洋化によるハビトゥスが再生産されるという限界が存在していた。そこで、社会空間とは別に、価値判断を遂行する際の価値基準となり、仮想的に価値判断を委ねる界としての仮想的界について言及することとする。この仮想的界として、身体文化が伝承されている能楽を置くことで、姿勢や動作の実践時に、今までは無自覚かつ無意識に西洋的価値判断がなされ、西洋化によるハビトゥスが再生産されていく場面に変化をもたらせることが可能となる。  

実践時において仮想的界を置くことで、能楽の世界では、果たしてこの動作は有効かどうか、この動きには能楽の構えが適用できるのではないか、という推論が生まれるようになり、西洋化によるハビトゥスの再生産に歯止めをかけることが可能となる。

仮想的界として能楽を取り入れたことで、無自覚かつ無意識であった動作にも推論が入ることになるのだが、この推論活動において有効性が高いのが、生田の論じてきた「古典芸能の世界での『わざ』の習得プロセスの要点」である。

生田が論じた要点は、実践者が対象を自ら信頼し、「善いもの」(生田,1987: 28)とした上で、その対象の世界へと自己の意識を潜入させ、主観的活動に従事するところから始まっている(生田,1987:28-29)。     

これと同じように仮想的界を頭の中に置く実践者は、能楽という界や能楽師の身体技法を「善いもの」とし、その世界へと意識を潜入させるのである。意識を潜入させることで、自身が今まで身につけてきた常識や身体、知識といったもので実践を判断するのではなく、能楽の界とそれらの総体となった、自身の「身」の二つの事柄の間を往復運動していく中、推論と実践を積み重ることとなる。

例として、実践者が野球界で選手として活動している場面を考えたい。実践者は、走る、投げる、打つと、如何なる行為における姿勢や身体運用時においても、野球界やスポーツ界の常識と言われる判断がもちいられる場面を、仮想的界である能楽と照らし合わせることを試みてみたい。野球界にいながら、「文化的・歴史的身体」が伝承されている能楽を、価値あるものとして身体全体に取り込み、今までとは違う視点も加わった推論と実践を積み重ねるのである。能楽を仮想的界としておくことで、打撃フォームにおいて、能楽の腰を入れた構えを取り入れた方が良いのではないだろうかという推論と実践が始まり、そこからの試行錯誤という生成が始まっていくのである。このようにして、能楽を仮想的界とすることで、これまでは無意識に西洋的価値判断がなされ、「西洋化によるハビトゥスが再生産される場面」において、能楽ではどうかという価値判断が介入することにより、「身」[i]と仮想的界である能楽の二つの事柄の間を往復運動するようになるのである。この往復の中で推論と実践の積み重ねが起き、これまで西洋化によるハビトゥスが再生産され、更新されることのなかった実践が、生成活動へと変容していくのである。

 

 

 

 

2.2文化身体の機能的保存

2.2.1.道具における機能的保存

仮想的界の存在は、これまで無意識的に西洋化されてきた価値基準や身体技法に対して、それとは別の価値基準や身体技法が存在することの認識を実践者に促すことが出来る結果、推論と実践の中に往復運動が起こり、生成的活動を生み出していくことを論じた。ただし、残念ながら仮想的界を導入するだけでは、失われた身体文化、身体技法を再現することは難しいことが指摘される。その一つの理由として、能楽をはじめとした伝統的世界における伝承は、生田が論じたように、師匠という導き手の存在がいてこそ推論が意味あるものとして成立しているが、仮想的界ではその師匠という導き手が不在だからである。そのため、実践のなかに仮想的界を導入しただけでは、能楽に保存されている身体文化や身体技法の「形」真似だけのものになり、身体文化の中にある「間」やさらなる自己生成を生み出す「型」という領域には達しない状況になってしまうのではないだろうか。能楽を仮想的界とすることで、実践において、西洋化によるハビトゥスが再生産されるという身体文化論の限界から前進することができたものの、この仮想的界にも、仮想的界であるゆえの限界がみられる。

そこで、仮想的界を導入した上での実践における重要性として強調されるものが、身体文化が機能的保存されている道具の存在である。能楽という界において、身体文化が伝承として保存されていたように、日本の伝統的な道具の一部においては、身体文化が機能的保存されているのである。

しかし、日本の伝統的な道具に機能的保存されている身体文化は、道具をそのまま使用したところで表象され、身体化していくものではない。ここもまた、今日までの身体文化論における限界の一つがみられる。なぜなら、日本の伝統的な身体文化が失われ、西洋化によるハビトゥスが刻まれている現代においては、道具への働きかけも西洋化によるハビトゥスの中でおこる実践にほかならないことが指摘される。すなわち、日本の伝統的な道具である下駄や着物を、現代の日常において、そのまま習慣的に用いたとしても失われた身体文化、身体技法を獲得することは難しいことは、ここまで論じてきた通りである。

こうした伝統的な道具をそのまま使用したとしても、機能的保存されている身体文化を再現できない事例として、矢田部は、着物の着付けや着こなしの動作といった技術の変容を論じている。矢田部は、明治期と現代では着物の着付けや着こなしに根本的な変化があると写真とトレースを用いて説いている。みぞおち部分のくびれの有無などの違いを明らかにし、着物を習慣化している者であっても、日本の伝統的な身体文化、身体技法から離れている現状を指摘している(2011:98-110)。さらに矢田部は現代の学生たちが下駄を履いた際の歩き方についても論じている。 

 

「現代の学生たちに下駄の歩き方を心得ている者は、ほぼ皆無に近い。下駄を履く習慣を失った現代人が、靴と同じ感覚のままで、下駄の鼻緒に足先を通す時、『下駄は歩きにくい』という反応が当然返ってくる。もし日本人の大半が、そのようなイメージをもっているとするならば、現代の日本では、下駄本来の歩行様式の伝承が、ほぼ断たれてしまったことを意味する」(矢田部,2011:78

 

矢田部が指摘するように、下駄を履いて歩く際、西洋化によるハビトゥスが働き、靴と同じように、地面を蹴る歩きを実践したとすれば、下駄に機能的保存されている身体文化が身体化されることはないだろう。このことを、理解するためには、なぜ日本の伝統的な道具に身体文化が機能的保存されているかを知る必要が生まれる。そして、この点について論じたのが文化人類学者の川田順造である。川田は、西洋の道具や服飾は「人間非依存」の技術特色が多くみられるが、日本の伝統的な道具や服飾は技術に関する「人間依存性」がみられると指摘している。日本では箸に代表されるように、機能分化していない単純な道具であるからこそ、使い手の器用さによって、多種多様な用途にて使える道具が多く存在している。また着物は、着る人間が着物に相応しい立ち居振る舞いの技術を身に付けなければ、すぐに着崩れをおこすように、着る人間の身体性や動作に依存していることがみられる。このように、日本の伝統的な道具や服飾は、人間の身体、技術ありきでつくられた「人間依存」がみられるというのが川田の指摘である(川田,2014:41)。そしてこの「人間依存」の特色があるからこそ、道具を使いこなすためには、使いこなしてきたその時代(過去)の人間の身体文化をようする状況が生まれるのである。ここから、日本の伝統的道具は「人間依存」であるからこそ、身体文化が機能的保存されていることがわかる。 

この人間依存性を持つ道具から、身体文化の再現に取り組んだのが尺八奏者の中村明一(中村,2006)である。

 中村は、尺八という日本の伝統的楽器を始めた際、自分の身体やこれまで積み重ねてきた自らの演奏法と、尺八とが合わないことに気づく。中村は、尺八という音を出すことにおいて合理的ではない道具が悪いのではなく、自分がそういう身体をしていないから上手く吹けないのだと考え、尺八が使われてきた時代の身体文化、身体技法を探求した。 

どのようにしたら尺八を上手く吹けるのかを、過去の文献を手がかりに試行錯誤する中、道具に身体を合わせていくのである。そうしていく中で、中村は現代で推奨されている姿勢や技法と離れたところに、尺八を吹くための密息、という瞬時に大量に息が吸える身体技法があることをみつけ、世界で活躍する尺八奏者になっていくのである。中村の実践は、道具を手がかりに推論し、実践していくことで、その道具を使いこなしていた時代の人々の身体技法を再現性あるものにした事例ではないだろうか。

 道具から身体文化、身体技法を再現していくための実践において、中村の事例は、道具を対等なものとして道具側から実践をすることで、道具に機能的保存されている身体文化、身体技法がみえてきたと言えよう。こうした道具との関係性について、文化学研究者の柴田庄一はこのように論じている。  

 

「たとえば、身体知の基底をなすと考えられる環境への馴致や道具との一体化を実現するには、そもそも現実の『場』に潜入し、親しく素材と触れ合い、用具に対してもこよなく愛情を注ぎこむことを日常としなければならない。そうすることではじめて用材の癖や素性をしっかりと把握し、それぞれの特性を活かすに足るだけの不可欠な前提条件が整ったことになる。興味深いことに、それが庭づくり(佐野藤右衛門『木と語る』小学館)であれ、杜氏や味噌製造工、あるいはまた石積工の場合であれ、いかなる技能の分野においてもほぼ異口同音に語られるのが、素材との対話の重要性である。そこでは、音を聴き、臭いを嗅ぎ、触感を確かめ、最後は舌で味わうといった風に、五感のすべてが総動員されるとともに、時に応じて手足や腕、さらには身体全体までもが達成目標に合わせて差し向けられることになる」(柴田,2006:102)  

 

道具との対話の重要性や、それを日常化して積み重ねていく重要性、そして時には身体全体が道具に差し向けられていく行為となることが語られている。これは、生田が論じた古典芸能にみられる技の習得プロセスと類似する(生田,1987:72)。すなわち、実践者が身体全体で他のものに潜入して導かれていくことが、道具に対する職人に起きているということではないだろうか。こうした道具との対話、道具へと身体全体で潜入して導かれるということについて、内田も論じている。  

 

「小次郎が体現しているのは、剣を道具として、人を斬るための便利なツールとして見るのではなく、剣には剣固有の生理があるという考え方ですね。剣には剣固有の導線というのがある。この線を進みたいという欲求がある。武道的感覚というのは、剣が発するその微かなシグナルを聞き取ることなんだと思うんですけれども、小次郎編ではそのことがみごとに描かれていました。人間がするのは初期条件を与えることだけ。いったん剣が起動したら、なすべきことは剣自身が知っている。だから、その後の人間の仕事はいかに剣の動きの邪魔をしないかなんです。居合をやっているとわかるんですけど、剣が選ぶ導線には必然性があるんです。だから、それを人間の賢しらで操作しようとすると良くないことが起こる。

 剣だって、もともとは人間が作った道具ではあるのです。でも、それがいつの間にか自分自身の意思を持って動くようになった。そういう道具のもつ潜在的な力を発動させる時に必要なのは道具を操作する術ではないのです。自分と対等のものとして対話することなんです。僕はそういうふうに考えた。でも、今の居合の世界では『剣と対話せよ』というような教え方をする人がいなかったので、居合はやめてしまいました。それから後は習った型を遣いながら、自分ひとりで剣に『あなたは何をしたいのか、どう動きたいのか』を聞くという稽古をしています。型をやっていると、なぜこんな型があるんだろう、何を考えさせるための型なんだろうと考えてしまう。考え出すと時間が経つのを忘れてしまいます」(内田,2014:89

 

このように、道具を使うという概念から一歩進み、道具を対等・敬意していくものとした実践の積み重ねにより、道具の中に機能的保存されていた使い方や動作の推測が、「身」の中ではじまるのである。その推測の中、道具の中にある身体文化、身体技法らしいものがみえてくるのである。

 

2.2.2道具を介した思考化、意識化

前節で展開した、道具をそのまま使うのではなく、道具を対等・敬意していくということは、実践者が道具を通して、思考化、意識化したことであるともいえる。文化人類学者の田辺繁治はブルデューのハビトゥス概念に着目して、以下の様に論じる。

 

「ブルデューのハビトゥス概念は身体化以外の心の哲学の主要な関心である思考がいかに実践を生みだすかという問題にはほとんど踏みこんでいない」(田辺,2002:562

 

ブルデユーのハビトゥスは、過去の限りない再現、身体に刻み込まれた傾向性ではあるが、思考や意識がないものであるとしている。「身体化された過去」の中から呼び起こされる「思考なき行為」(田辺,2002: 565)であるハビトゥスは、田辺によれば実践を思考化、意識化することで変容できる余地を持つと言う。

道具を対等・敬意することで、中村が、密息という身体技法にたどり着けたのも、このハビトゥスの変容の余地の部分に働き掛けができたことにほかならないのではなかろうか。ブルデュー自身もハビトゥスは新しい経験との関連で絶えず変化し、不調があり、そのためらいの瞬間に、動作遂行時の実践的反省の影響を受けると述べる。これは、ハビトゥスにおけるエートス[ii]に対をなす、ヒステレシス[iii]効果と言えよう(西兼志,2015:32-37)。だからこそ、みずからの行為を意識的に反省しつつ、修正することを余儀なくされる状況にておこる(Bourdieu,2009:273-275

下駄の事例のように、実践者が日本の伝統的道具を使用するとき、西洋化によるハビトゥスからくる動きでは対応ができない状況が生まれてくる。しかし、界が不在な際の実践者は、西洋化によるハビトゥスで対応できないままに道具を使用し、下駄であれば鼻緒が痛い、歩きにくいという状況を打開できずに使用していくのである。そこで、実践者が道具を使う際に、仮想的界に沿って能楽であればこうして動くであろう、という意識的な実践とともに、自身からの働きがけよりも道具側の働きがけを重視し、道具の中にある機能的保存された身体文化を引き起こそうとする行為とが重なり合い、ヒステレシス効果によって初めてハビトゥスは変容していくのではなかろうか。

職人や達人という身体知[iv]を高めてきたものは、柴田が論じたように(本論考2.2.1.)、生活の中で道具側が所属していた界に潜入するかのように身を置き、自身の身体知をもとに道具側の働きがけからの思考化、意識化、さらにいえば意識的な反省による実践が可能となる。さらに、道具の中にある機能的保存された身体文化、身体技法を引き起こし、それに沿ったハビトゥスへと変容させていくことが可能となるのである。この実践を、職人や達人という限られたものだけではなく、より一般化し、具体的実践に落とし込んでいくためには、道具を用いての実践時に動感[v]の自己観察を言語化する必要性があげられる。

そこで、工学の立場から身体知の研究をしている諏訪正樹(2016)の「からだメタ認知」の概念にその要点を求めたい。この「からだメタ認知」は、身体と環境のあいだに成り立っている身体部位の動きと、その体感を「ことば」[vi]で表現しようとすることで、違和感や感触を表し、記録していくものである。職人や達人が道具を対等・尊敬していくことで身体文化、身体技法の入り口に立てるのは、日々の微妙な差異を感じ取ることができる体感や認知の能力に長けていることがみられる。これらの能力に長けていることで、身と道具にある体感の変化に対して、思考や意識を更新し、自己生成していくことや感覚を保存することが可能となるなのだろう。

逆に、職人でも達人でもない人間(体感や認知の能力に長けていないもの)が同じことを試みたとしても、個人差が大きいばかりか、一部の人においては、そこから得られる情報は皆無となり、何をしたらいいかさえわからないということが起きるのである。そこで、道具を対等・敬意をもつ行為と並行し、「ことば」と体感を結びつけ、それを表現していく行為であるからだメタ認知の実践を試みることで、今まで個人の感覚、身体知に委ねられてきた項目を、誰もが積み重ね、道具に沿った身体知を高められるものにしていくのである。道具を使用する際に体感を「ことば」にしようとする行為は、微妙な差異を認知することを促し、今まで気づかなかった感覚の変化に気づけるようになると共に、道具から感じ取る情報、導かれる行為も次第に感じ取れるようになると言えよう。

 また、道具を使っているときに感じている体感やその変化を「ことば」で語ろうとすることにより、これまで感知したことのない、身体に対する着眼点や身体と道具の間に起きている変化をみつけ、発見していくことができるのではなかろうか。そこで、諏訪は以下に論じる。    

 

「新たな問題意識や目的が生まれれば、同じ行為が違って感じられ、違う思考が生まれていきます。これまでは留意してこなかった眼差しや考えが生まれてきます」(諏訪,2016:135

 

からだメタ認知の実践は、行為に変化を与えていくものである。このように、身体と道具における実践に、からだメタ認知を導入することで、微妙な差異を意識できるようになり、この追求の中で、道具に沿った身体知が高まり、道具の中に機能的保存されている身体文化が、どういったものなのか、次第に気づけるようにもなっていくのである。この過程は、内田が、身体運用の有効さを担保する共通項としても論じている。

 

「何かをするとその感じが現れ、何かをするとそれが消える。だから、その『嫌な感じ』と、身体をどう動かせばその『嫌な感じ』が消えるかについて、経験的にわかってくれば、身体は経験則に従って、ごく自然に『不快を避け、快を求めて』動くようになる。こういう身体感受性を開拓していくこと。『嫌な感じ』が「ある/ない」の微妙な体感の変化を感知できるかどうか。それが武道的な身体能力でいちばんたいせつなことだと僕は思っているんです」(内田,2014:123

 

内田が論じたように、微妙な差異を思考し、意識し、微妙な差異の追求の中、道具の中に機能的保存されている身体文化を推測し、感じ取っていくのであろう。ここから、道具を、生田が論じたわざ世界における師匠のような導き手として、道具から体感の変化、動きを発見していく行為に没頭していくことがみられる。

 

2.3.1文化身体の伝承と機能

人々が日本の伝統的な身体文化、身体技法を獲得するための実践も、西洋化によるハビトゥスの再生産に歯止めをかける界(Champ)が不在であるなかの実践のために、西洋化によるハビトゥスが再生産されてしまうことが身体文化論の限界であった。これにより、日本の伝統的な身体文化、身体技法が定着論的[vii]にいくら解明され、分析され、論じられようとも、その実践は西洋化によるハビトゥスを再生産させることを指摘した。

定着論的に伝統的身体文化、身体技法を分析してきた身体文化論の限界を超えて、伝統的身体文化、身体技法を再現性あるものにする文化身体論を構築するためには、西洋化によるハビトゥスの問題が一番大きな問題として存在する。何故なら、ブルデューが、ハビトゥスを「知覚・評価・行動図式のシステム」(Bourdieu,2009:236)であり、「環境との、構造化され構造する二重の関係」(Bourdieu,2009:245)であると語ったように、ハビトゥスこそが実践における幹の部分であると考えられる。しかし、身体文化論において、実践における幹である西洋化によるハビトゥスの問題は放置され続け、西洋化された身体図式のままに、身体文化、身体技法が論じられてきたということに身体文化論の限界があった。 

そこで本章では、まず、伝統芸能の能楽が如何に伝統的な身体文化、身体技法を「型」によって伝承されてきたかを論じ、西洋化によるハビトゥスに歯止めをかけることが可能な界(Champ)であることを論じた。そして、この能楽を仮想的界とすることで、無自覚かつ無意識であった行為や実践に推論が生まれ、西洋化によるハビトゥスと仮想的界の間に推論の往復が起こり、生成活動が生まれ、ハビトゥスの再生産に歯止めをかけることを論じた。

しかしながら、仮想的界には、仮想ゆえに、意味の解釈や推論の促進を促す直接的な導き手となる師匠は存在しないことから、身体文化、身体技法を「形」において再現はできたとしても、「型」という、より実践的に意味あるものとして再現できる可能性は高いとはいえない。そこで、身体文化が伝承的保存されている能楽を仮想的界と置いた上で、身体文化が機能的保存されている下駄や足半、着物といった日本の伝統的道具を直接的な導き手とする実践からその要点を導きだした。

この時の実践は、道具は使うものという概念から一歩進み、道具を対等・敬意あるものとしての実践の積み重ねとなる。なぜなら、身体側から道具に働きかけたならば、矢田部が下駄や着物の例で指摘したように、西洋化によるハビトゥスの身体図式に沿ったままに道具を使用してしまうからである。すなわち、道具側からの働きかけ、道具の声をきくように道具を使うことが必要となる。川田が論じたように、日本の伝統的道具は「人間依存性」があるからこそ身体文化、身体技法が機能的保存されており、道具側から働きかけることで、道具に保存されている使い方や動作への推論をはじめ、身体文化がみえてくるのである。ブルデューはこの道具側からの働きかけについて以下のように論じている。

 

「道具のなかに暗黙の使用マニュアルとして書き込まれている目的を自分のものにしおおせていなければならない。要するに、道具に使いこなされている、道具によって道具化されているのでなければならない。この条件を満たしてはじめて、ヘーゲルが言う『デクステリア(熟達)の域』に達することができる。計算する必要なしにぴったり合う、なすべきことをなすべきときになすべきようにおこなう、無駄な動作なしに、労力の節約と必然性をみずから深く感じつつ、また、それがそとから見てとれるようにしつつおこなう境地である」(Bourdieu,2009:244

 

こうした道具側からの働きがけをとらえるためには、職人や達人がようしている類の道具に沿う身体知が重要であり、その身体知をようしていない人々には、この時点ではまだ有効な実践にはならないこととなる。そこで、道具と身体との関係を紐付ける「ことば」によって、「身」と道具にある体感の変化に対する思考や意識を記録し、更新し、身体知を積み重ね、高めていくのである。

このように、「伝承的保存のある仮想的界」、「機能的保存のある道具」、「道具と身体との関係を紐付ける『ことば』による身体知を高める行為」からなる実践が、西洋化によるハビトゥスに対してヒステレシス効果を及ぼし、ハビトゥスを変容させていくのである。

これまで、身体文化論では、伝統的な身体技法や機能的保存のある道具について論じられてきた。しかしながら、ブルデューは以下に論じる。

 

「資本は界との関係なくしては存在することも機能することもできない」(Bourdieu,2007:137

 

つまり、文化資本として、伝統的な身体技法や機能的保存のある道具を機能させる仕掛けが存在していなかったのである。身体文化論は、界とハビトゥスによる関係だけでなく、文化を文化資本として存在させることができていなかったと言えよう。すなわち、これまでの身体文化という視点ではなく、文化資本を機能させる文化身体という視点が求められるのである。




[i] 本論考、序論3.で論じた市川の身の概念の意味として表記する際に、「身」と表記する。

[ii] 過去の経験に規定され、内在化の側面に関わるもの、ゆえに、過去を現在、未来にわたって反復、再生産するもの(西,2015:32-37

[iii] 過去の経験を放棄し、新たに組み替えねばならない状況(西,2015:32-37

[iv] 身体知は、身体的な実践によって身についた、情意や感性と一 体となった身体化された知であ る。状況に応じて行動できうる実践知であり、身体経験を繰り返すことで環境との具体的なやりとりを実現する「わざ」や「こ つ 」を体得することであるともいえる。いわゆる『身体でわかる 』という側面である。加えて自己の身体についての知もまた、「身体知」の重要な側面の一つである。外界に働きかけることによって自己の身体もまた環境から働きかけられる。その働きかけられたことによって自己の身体がどのよ うに行為するのか、そして変容していくのかに気づ くことは重要である。したがって自己の身体への気づき、すなわち自己認識を基盤とした「身体感覚」を高める技能 、方法を身につけているとき「身体知」があるといえる(北村卓,2002:76)。

[v]  動きを実践するときに、運動主体の内面に生じる感覚

[vi] 言葉、言語という意味を表すものに限定するのではなく、オノマトペなど、言語にならない、意味を表さない音をも含む際に、本稿では「ことば」と表記する

[vii] 当時の分析に留まった理論として、生成が存在しないことを定着論とする。

第3章 文化身体論構築に向けて

2章では、「伝承的保存のある仮想的界」、「機能的保存のある道具」、「道具と身体との関係を紐付ける『ことば』による身体知を高める行為」からなる実践により、西洋化によるハビトゥスを変容させていき、身体文化、身体技法を身体化させていく可能性について論じてきた。また、こうした実践が、これまで身体文化論で論じられてきた伝統的身体技法や機能的保存のある道具を文化資本として機能させることを論じた。この実践における文化資本を機能させる仕掛けこそが、文化身体論の視点である。文化身体をさらに、再現性の高いものにしていくため、第3章では、「暗黙知」の概念、身体感覚の二重構造を論じた上で、文化身体の「形」真似ではなく、「間」と「型」として身体化していく過程について論じる

 

3.1.暗黙知の近位項を捉える身体

医学、化学の分野から社会科学に転じたマイケル・ポランニー(2003)が提唱した「暗黙知」の概念は、知っているのは確かなものの、どのように知っているかを語れない知である。この暗黙知についてポランニーは、近位項と遠位項から成立すると説いている(Polanyi,2003:28-32)。

近位項には、身体各部位の動きや身体感覚が分類され、行動するときのタスク全体など、身体の内から離れたものを遠位項とした。遠位項においては、生田が論じたわざ言語をはじめとする比喩表現が有効であるということが生田、北村等による研究(生田・北村編,2011)にて明らかにされている。しかしポランニーが意識の及ばない、より暗黙的で言葉にならないとしてきた近位項についての実践的な研究は、遠位項と比べて乏しいことが指摘されよう。

そうした近位項における実践としてオノマトペの採用が、からだメタ認知にて諏訪(諏訪,2016:125-142)が論じたように、有効性として検証の余地がある。例えば、下駄を履いているときに身体と下駄の間でおきている、「足が下駄の歯から地面を捉えている感覚」「股関節が軸に乗っている感覚」などは身体感覚であり、身体の内部で起きている暗黙知の近位項であるといえる。すなわち、オノマトペの有効性の一つは、着地の感覚の違いをオノマトペという記号言語で認識し、意識できることである。例えば、それまでは暗黙的で意識にのぼらなかった着地感覚について、右足では「クン」という音がはまる着地なのに対し、左足は「クッ」という着地だということなどに気づくのである。この微細な差を認識した際、右足の「クン」の感覚に近づけようと、左足の着地の際に「クン」と意識しながら行っていくと、感覚の微細な差異が徐々に調整されていく。

また、実践を積み重ねていく中で、「クン」から「ククン」に更新されていくことも考えられる。こうした「クン」から「ククン」のように言葉が更新されていく現象について、諏訪は下記のように述べる。

 

「ことばが新しく生まれた場合、身体システム内には新たな身体動作の実体が生じます。新たな身体動作は、それまで成り立っていた身体と環境の関係を刷新します」(諏訪,2016:154

 

このオノマトペと身体の関連についての有効性については、スイング動作がよりわかりやすいであろう。例えば、私たちの体は野球のスイングをする際に「グイッ」とスイングしようとする時と「サッ」とスイングしようとする時では、一連の動作も身体の力の入り方も身体の繋がりも変わることが指摘される。この言葉の思考と身体の関係については、文化人類学者の菅原和孝が、身体配列の概念として提出した「身体化された思考」があげられる。菅原は、ある出来事について語るとき、語りという言語記号がその出来事の身体の配置を自動的に再現すると論じる。言語記号と出来事の身体の配置は身体配列として紐づくことで持続性を持つこととなる(菅原,2004:226-229)。

このようにして、遠位項よりも暗黙的であり、言葉や思考と結びつきの弱かった近位項の暗黙知である身体感覚は、道具による実践時にオノマトペとして表現、記録されることにより身体化されていく。

 

 

3.2.身体感覚の二重構造を持つ身体

身体内部で感じ取れる暗黙知の近位項を、オノマトペとして表現、記録することは、身体文化が機能的保存されている道具を、より表象し、文化資本として道具を深く機能させていくこととなる。そして、身体外、動きの全体性である暗黙知の遠位項は、わざ言語などの比喩表現と結びつけた実践によって促進される。ここまで、文化身体を構築する実践の仕掛けに関して論じてきたが、文化身体における身体とは何かということを理解するには、身体感覚とは何かということをもう少し議論する必要があろう。西村秀樹の論じた身体感覚の二重構造(2019)はこの理解を高めてくれる。

西村は身体感覚について、心と身体の関係も市川の「身」の概念として踏まえた上で下記のように論じている。

 

「初歩の状態あるいは修行が進んでいない状況では、心によって意識的に身体を動かすので、心と身の区別はむしろしやすいが、熟練の境地では、『心身一如』で『無心』であり、心と身体の区別は消え去っている。『無心』になるというが、心が全てなくなってしまうのではない。心に固有の作用は、『思考』や『情動』であり、それらが剣術にとっては『病』を生み出すものにほかならない。無心とは、それらが消え去った状態だが、しかし身体感覚は残っている。身体感覚は、自分の身体についての意識であり、広い意味で『心の状態』の一つにほかならない。身体感覚は、具体的には、自分の手足や内臓の状態についての意識であり、触覚・温覚・冷覚や運動感覚を含む脊髄神経系の内部知覚である『体性感覚』である。『無心』の状態では、身体感覚以外の意識は消失するが、身体感覚はむしろ非常に研ぎ澄まされたものとして存在する。そして、この身体感覚は、心と身体が出合うところであり、両者が統合されたものである」(西村,2019:89

 

西村は、身体感覚をこのように捉えた上、生理学的な身体に留まる身体感覚と、太刀を握る手という他所へ移した心を拠点とする身体感覚の二重性に注目した。西村は、他所に移した身体感覚とは市川浩の論じる「働きとしての身体」であり、身体感覚の転移によって、自己は自らを身体感覚として、こちらとあちらの二重に存在させることができ、自己と対象とを同時に対応できるものと論じている(西村,2019:90-91)。

このように、西村の論じる身体感覚の二重構造とは、「自分の身体のうちに起きている身体感覚」と「身体から先の道具で起きている身体感覚」が同時に存在していることである。心と身体を区別して、それぞれに役割を持たせるのではなく、身体感覚として心と身体を統合した上で、「身体に留まる身体感覚」と「身体の外へと転移していく身体感覚」という二重性をつくっていることが述べられている。

つまり、心と身体は身体感覚として一体化した上で拡張し、身体の先にある道具を拠点としながら、さらに道具より先へと拡張していくことを示している。これまで論じてきた道具を使うのではなく、道具を対等・敬意あるものとして道具側から働きかけるとは、心と身体が一体となり、身体感覚として道具側に転移した身体感覚が、道具との相互行為により使い方が浮き出てくることを示す。

はじめての実践では、無意識ではなく、思考で身体を動かすため、この身体感覚の二重構造は起こりにくい。あくまでもオノマトペを用いる中で、道具と身体の接続の中に「身」を潜入させていくことの積み重ねの中、実践に没頭している時に、ある瞬間にコツを掴んだような感覚、すなわち身体と心が一体となる。身体感覚の一方が「身体内部を感じる身体感覚として残り」、他方が「身体の外の環境を拠点とする、動きを生み出す身体感覚として拡張していく」のである。言い換えれば、「自らの身体に傾聴する身体感覚」と「道具を拠点として、環境に傾聴する身体感覚」という二重の身体感覚である。つまり、相互に働きかけを繰り返しながら、生成を繰り返していく身体感覚を示しているのである。

 

 

3.3間と型のある身体

文化身体論を構築していく上で、西洋化によるハビトゥスが再生産される問題をいかに乗り越えるかをここまで論じてきた。仮想的界、伝統的道具を手がかりにすることで、西洋化によるハビトゥスが再生産される問題に歯止めをかけ、わざ言語やからだメタ認知、身体配列などの言葉や意識、イメージを駆使することで、道具に沿った身体知を高め、身体感覚の二重構造の働きに到達するまでに、実践の質を高めていくことを論じてきた。そこで、暗黙知の近位項とされる体感や、身体感覚をオノマトペで表現することを積み重ね、身体感覚の二重構造の働きまで到達することは、同じ実践における体感の質を変えることが指摘される。身体文化、身体技法を、生田が指摘したような形真似にとどめるのではなく、「型」として再現していくために体感の質を変える議論の必要性が生まれよう。
 すなわち、この同じ実践において体感の質を変えるとは、歩く時の一歩一歩の着地の重みや地面からの反力による体感の違いを、道具と言葉によって認識し、質を変えるということである。身体の内部から感じる暗黙知の近位項の体感、地面から感じる暗黙知の遠位項の体感の違いである。この認識と更新の積み重ねの中に、生田の論じる身体全体を通して価値を探りながら構築するプロセスがみられるのである(生田,1987:63)。そして、実践者は、そこから生まれる実践への認識の変化のなか、自身がおこなっていることの意味を実感できる状態を表す「間」というものを体現していく(生田,1987:57-61)。

生田の論をより精密に言うならば、身体感覚の二重構造から、伝統的道具の中にある機能保存されていた身体文化、身体技法に内在していた「間」[i]の感覚に気づき、「間」を会得していくということである。さらに、これら実践で体現した「間」の動作を自らの競技に応用して落とし込んでいくことで、自らの競技における「型」、その競技のトレーニングにおける「型」をみつけていくことが可能になると言える。

つまり、同じ実践において、体感の質を変えるとは、「間」と「型」がなく、「形」に向かう傾向性を持っていた西洋化によるハビトゥスから、「型」への変換であることが明らかになる。  

西洋化によるハビトゥスの中で「無意識」だった実践が、仮想的界と日本の伝統的道具を手がかりに、ことば、意識、イメージを駆使した「意識」による実践によって、身体文化、身体技法を再現しつつ、比喩まで含んだものをも一つの総合体にしたのが「型」と言うことが示される。「型」という一つの総合体にすることで、「無意識」としての実践へと再変換されることとなる。この「型」の形成過程については、齋藤も下記のように論じている。

 

「通常は無意識に行なってしまっている効率のよくない動きをいったん意識化し修正する。そして、型を通して合理的な動きが習慣とされることによって、その動きは意識的にしなくとも出るようになり、無意識の領域に帰っていく」(齋藤,2000:105

 

「型」のある身体は、オノマトペやイメージ、比喩までも含んだ身体となることで、次の動き、どう動くべきかと頭や心で考える必要がなくなる。つまり、「無心」(西村,2019:89)となる。それゆえに、環境に応対し、生成し続けられる状態が発生するのである。「型」とはただの再現、反復される形式ではなく、二重の身体感覚から自己と自己以外のものとの生成活動や動きを生み出すことができる状態をつくるものとも言い換えられよう。実践者の身体は、これまで行ってきたオノマトペやイメージ、比喩までも含んだ「身」となり、これらが一つの総合体「型」として表出されていくことが明らかとなる。

このように、西洋化によるハビトゥスによって「形」へと向かう傾向性を持っていた実践が、自ら「型」をつくる行為の領域へと変容していく実践の中に、文化身体論は存在するのである。

 

 



[i]「間とは時間的かつ空間的に流動の軌跡として切断したものが型である」と安田武(: 55)が論じたように、間とは流動の中でも切断が可能なほどに、身体的、時間的、空間的に一体化している状況、状態のことである。「日本の芸の最も重要な習得到達点はそれぞれの芸の間というものである」(安田,1984:55)「『間』こそ、守でありイロハであると同時に、究極であり極意である」(安田,1984:56)などと論じられている。生田久美子は、到達点であり、各世界の固有の「呼吸のリズム」を「間」と定義している(生田,1987:65)。

結論

1.本研究の結論

第1章では、身体文化論において、日本人の日常から失われた身体文化、身体技法にはどのようなものがあるのかを論じてきた。身体観においては、現在のように解剖学的に各部位を細部化して捉えるものと違い、身体の各部位に対して広く曖昧であり、身体に限らず、自己と他者の空間さえも曖昧であることが日本人の身体観の特徴としてみられた。そして、近代以前の日本人の姿勢や体つきに多くみられる特徴として、なで肩の猫背で「みぞおち」部分はへこみ、顎は少し上向きに突き出されており、現在の日本人の姿勢や体つきとは異なるが、そこに「善さ」が認められていた。

 身体文化論で広く論じられてきた道具には、足半や下駄等がある。こうした道具の分析から、歩行などの身体技法が如何なるものであったかが表象され、なんば歩きに代表されるように、現代の動きと比べ、身体全体による動きがあると論じられてきた。

このように、身体文化論は、失なわれた身体文化、身体技法について、多角的に分析され、論じられてきた。しかし、身体文化論は、身体図式、習慣的身体の視点であったため、社会世界の構造が身体化したものであるハビトゥスに、包括されている西洋化を捉えることができていなかった。そのため、西洋化によるハビトゥスの再生産の問題は置き去りにされ、身体文化を実践する上での界(Champ)も不在なため、西洋化によるハビトゥスの再生産に歯止めをかけることができず、身体文化論は身体技法の再現性の低いものとなっていた。ここに、身体文化論の限界があった。

 

第2章では、西洋化によるハビトゥスの再生産に歯止めをかけるものとして、仮想的界を提示した。伝承によって伝統的身体技法が保存されている能楽こそ、仮想的界として適任である根拠について論じてきた。ただし、この仮想的界は仮想であるため、意味の解釈や推論を促進する直接的な導き手が存在しない問題が存在した。この問題を補完するものとして、足半や下駄のように、伝統的な身体文化、身体技法が機能的保存された道具に着目した。川田が論じたように、日本の伝統的道具は、人間依存の特徴を持つからこそ、過去の身体文化、身体技法の機能的保存がみられた。ただし、矢田部が論じたように、西洋化によるハビトゥスからの実践では、機能的保存がされている身体文化を身体化することはできない。ここで、重要になるのが、柴田や内田が論じた道具側の働きかけからの思考化、意識化、さらにいえば諏訪の論じた「からだメタ認知」などの「ことば」と体感を結びつけた意識的な反省による実践であった。こうした実践は、ハビトゥスにあるヒステレシス効果をおこし、道具の中にある機能的保存された身体文化に沿ったハビトゥスへと変容させていく。

ここまでの論考で、西洋化によるハビトゥスの再生産に歯止めをかけ、伝統的な身体文化、身体技法を身体化し、「形」真似として再現できる可能性までは辿ったものの、「型」という、より実践的に意味あるものとして身体化するまでには至っていなかった。

 

そこで、第3章では、第2章において、論じた「伝承的保存のある仮想的界」、「機能的保存のある道具」、「道具と身体との関係を紐付ける『ことば』による身体知を高める行為」を前提として、機能的保存のある道具をより、文化資本として高める理論構築について論じた。「暗黙知」の概念、身体感覚の二重構造を理解した上で取り入れた実践の先には、「間」の発見、会得があった。この「間」は、伝統的道具の中にある機能的保存されていた身体文化、身体技法に内在していた「間」である。身体感覚の二重構造の働きは、心、身体、環境、歴史、比喩表現から起こる動作といった実践に関わる全ての事柄が包括されていく中、ある時「間」に気づき、そして、この「間」への気づきが、「無心」の領域である「型」の入り口となっていることを明らかにした。実践者は、「間」を自らの競技に応用して落とし込んでいくことで、自らの競技における「型」、その競技のトレーニングにおける「型」をみつけていくことが可能になる。叡智を内包する規範(大庭,2021:7)を身体化するものが、身体文化論で分析されてきた従来の「型」とするならば、叡智を内包させながら規範を身体化したものが文化身体論の「型」である。このように、「間」や「型」を分析するのではなく、身体化させていく過程として文化身体論の存在を明らかにした。

 

第1章から第3章にわたって論じてきた文化身体論の構築について、以下のようにまとめることができる。西洋化によるハビトゥスの再生産を仮想的界によって歯止めをかけ、機能的保存のある道具と「ことば」を駆使することで、ハビトゥスを文化身体によるハビトゥスへと変容させることができる。このハビトゥスの変容の過程において、これまでの身体文化論においては、界の不在により存在も機能もすることができていなかった日本の伝統的な身体文化、身体技法が、初めて文化資本として資本化されるのである。この文化資本の到達点こそが「間」と「型」であり、文化身体論の実践とは、この文化資本の到達点を目指すものだと言える。

このようにして、文化身体論の実践によって獲得した文化身体によるハビトゥスと、文化資本が持つ価値は、ハビトゥスと界の関係の中にこそあると言える。ブルデュー研究を専門とする磯直樹は、下記のように論じている。

 

「ハビトゥスと界の関係は、界の内と外という二つの観点から整理できる。ハビトゥスは特定の界の中において、その規則と特性の作用を受け続ける。一方で、ある界において行為者がどのように振る舞うかは、ハビトゥスの作用に大きく依存するのである。界における行為者の客観的な位置関係は資本の種類と総量によって規定されるが、実際に界の中でどのように闘争やゲームを行えるかは、どのようなハビトゥスを有しているかによって異なる。これが、界の内部とハビトゥスの関係である」

(磯,2008:43

 

文化身体論の実践で獲得した、文化身体によるハビトゥスと文化資本は、各々が所属する界へと持ち込まれ、界の中で行われる闘争やゲームに組み込むことが可能となる。例えば、文化身体論の実践者である陸上界に所属する陸上選手は、文化資本の到達点である「間」や「型」を陸上界の競技(闘争)の中に持ち込むことが可能となる。競技において、文化資本を持つ有利性が加わるからである。さらに、磯はハビトゥスと資本、界の関係についてこうも論じている。

 

「ハビトゥスの有り様によって資本の持つ効果が変わり、その効果は各々の界によっても異なる」(磯,2008:40

 

これまで論じてきたように、多くの人々が、西洋化によるハビトゥスを暗黙のうちに身体化したままであり、伝統的な身体文化、身体技法の文化資本を所有していない。それに対して、文化身体論の実践者は、文化身体によるハビトゥスと文化資本を所有する差異によって、界における位置関係をも変容させられる可能性を持つのである。

このように、文化身体論の実践とは、「間」と「型」を文化資本の到達点として獲得し、これを各々の界における闘争やゲームを有利に進めるものとして応用することができる。だからこそ、伝承的身体の再現性に着目し、文化身体論の構築に向けての視点を持つ更なる研究が必要だと結論づけたい。

 

2.今後の課題

本研究では、身体文化論で分析されてきた身体技法を、どういった場面でどのように実践するべきかという点について十分に考察できたとは言えない。また、身体感覚の二重構造における「間」の獲得過程でみられる生命システムが、状況に応じて次々と新しい意味情報を自律的に生成していく「ゆらぎ」(清水博,1990:290)に関する言及は、スポーツ指導の現場、教育現場への応用可能性がある。今後の課題とさせて頂きたい。

 

 

<注釈>

[1] 生田久美子(1987)は、社会学者マルセル・モースのハビトス概念(Mauss,1976:127-128)をハビトスと表記した。本論考でも、モースのハビトス概念をハビトスと表記する。モースによると、ハビトスとは単なる動作の記述ではない。威光模倣について、モースは、威光ということの概念の中に社会的要素があり、模倣行為の中にすべての心理学的要素と生物学的要素が見出されると論じる。なお、後述の社会学者ピエール・ブルデューのハビトゥス概念についてはハビトゥスと表記する。

[1] 自己組織システム論は、身体と精神とを区別せず両者がシステムを成すと認定し、このシステムが絶えず生成・消滅していると捉えるシステム論である(亀山,2010:43)。

[1] 身体パフォーマンスとは、実践において、身体が持つ力を引き出すことを指す

[1] 生田久美子は同書(1987:99)で「師匠の価値を取り込んだ第一人称的な視点」と前述している。

[1]  みぞおちとは、人間の腹の上方中央にある窪んだ部位である

[1] 正式名称は、上野恩賜公園西郷隆盛像 高村光雲 作

[1] 身体図式(Merleau-Ponty,1967:172-174)は、元は神経学者、心理学者が用いてきた、身体の状態を知るための身体情報を全て含んだ概念(樋口貴広,2008:110)であったが、メルロ=ポンティは、身体的経験の一つの要約(Merleau-Ponty,1967:173)として概念を取り上げ直し、諸器官の外的な寄せ集めではなく、その諸部分が互いの中に包み込まれて存在している、一個の分割できない行動の図式とした(井上俊,2010:14-15

[1] 本論考では、思考や意識を必要としない動作に関して「わざ」と表記し、「技」と区別する。本論考における「わざ化」は思考や意識を必要とせずとも、無意識的に動作ができるようになる状況を指す。

[1] 社会学者ピエール・ブルデューのハビトゥス概念には、共同体の歴史として、思考のカテゴリー、理解のカテゴリー、認識の図式、価値基準のシステムといった社会構造の内在化の産物が含まれる(Bourdieu,2018:89)。社会学史研究としてブルデュー研究を専門とする磯直樹は、通俗的に理解されたハビトゥス概念とは、習慣化された振る舞いと心的傾向を示そうとするものである。しかし、ハビトゥスとは社会的世界についての見方vision であると同時に区分division の原理であり、このようなハビトゥスが社会的世界を構成するという点が強調されなくてはならない(磯,2008:42)。と論じている。

[1] 界(Champ)概念について、磯直樹は、界の内部にはルールが存在し、界の中へ参入するということは、そのルールに従うことを暗黙裡に認めることであり、諸々の界はそれらに固有の内的な発展のメカニズムによって有意な範囲として構造化され、境界を有するようになる。そして、外的な環境からは相対的自律性を確保することになる(磯,2008:39)。と論じている。ブルデューは界とハビトゥスの関係において、ハビトゥスの働きは内在的な性質にのみ依存するのではなく、界が異なれば同一のハビトゥスも違う効果を生むものに変容する(Bourdieu,2018:100)。と論じている。

[1] 本論考、序論3.で論じた市川の身の概念の意味として表記する際に、「身」と表記する。

[1] 過去の経験に規定され、内在化の側面に関わるもの、ゆえに、過去を現在、未来にわたって反復、再生産するもの(西,2015:32-37

[1] 過去の経験を放棄し、新たに組み替えねばならない状況(西,2015:32-37

[1] 身体知は、身体的な実践によって身についた、情意や感性と一 体となった身体化された知であ る。状況に応じて行動できうる実践知であり、身体経験を繰り返すことで環境との具体的なやりとりを実現する「わざ」や「こ つ 」を体得することであるともいえる。いわゆる『身体でわかる 』という側面である。加えて自己の身体についての知もまた、「身体知」の重要な側面の一つである。外界に働きかけることによって自己の身体もまた環境から働きかけられる。その働きかけられたことによって自己の身体がどのよ うに行為するのか、そして変容していくのかに気づ くことは重要である。したがって自己の身体への気づき、すなわち自己認識を基盤とした「身体感覚」を高める技能 、方法を身につけているとき「身体知」があるといえる(北村卓,2002:76)。

[1]  動きを実践するときに、運動主体の内面に生じる感覚

[1] 言葉、言語という意味を表すものに限定するのではなく、オノマトペなど、言語にならない、意味を表さない音をも含む際に、本稿では「ことば」と表記する

[1] 当時の分析に留まった理論として、生成が存在しないことを定着論とする。

[1]「間とは時間的かつ空間的に流動の軌跡として切断したものが型である」と安田武(: 55)が論じたように、間とは流動の中でも切断が可能なほどに、身体的、時間的、空間的に一体化している状況、状態のことである。「日本の芸の最も重要な習得到達点はそれぞれの芸の間というものである」(安田,1984:55)「『間』こそ、守でありイロハであると同時に、究極であり極意である」(安田,1984:56)などと論じられている。生田久美子は、到達点であり、各世界の固有の「呼吸のリズム」を「間」と定義している(生田,1987:65)。

 

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