【しつけ教育からの脱却、子どもの成長を見守る種まきを】

親子スポーツ教室の代表挨拶より http://deporu123.jimdo.com/

親子スポーツ教室ではスポーツを通じて子ども達が自分自身で何かを得られるような、スポーツの場だけでなく、スポーツ以外の場でも自分らしく輝ける、総合的な力をつけていきたいと考えています。

親子スポーツ教室の取り組みを教育という視点で考えた場合、それは強制的に押し付けられた「しつけ」であってはいけないと強く思います。

「しつけ」というものは子どもが受け手になり、親、先生、指導者が主役となってしまうだけでなく、一方的な学びになってしまいます。そのことは萎縮した子どもや人の顔色を伺う子ども、あるいは規範には従えるが自分では判断できない子ども達を育てることになります。考えるということを放棄してしまった子ども、一見いい子でありながらもその内側には陰湿さを隠し持つ子どもが育っていきます。

そうではなく、あくまで子どもが主役であり、「褒める」「叱る」という万能薬的な「しつけ」というものに指導者は頼るのではなく、指導者も子どももフェアで正直であるという関係を構築していくことで、子ども自身がその「場」の空気を感じ、それに合った態度・行動ができる子、知ることからそれを応用して自ら考え、つくることができる子どもを育てたいと思います。

 

ただし、子ども達のそれが完成するのは、ずっとずっと先です。もしかしたら大人になった遥か先かもしれません。ただ、完成するのは先ですがそのための種まきと水や光を加えていく場のひとつが親子スポーツ教室であり、大人の役割です。そしてここで大人の役割として最も大事なことは焦りすぎないこと、信じ想像し続けることです。

 

大人側に必要なのはとてもゆったりとした時間間隔です。今の子どもの状態をみながらも常にその子の未来を想像し信じ続けてあげてください。それを続けていくことで段々と子どもと接していく中で、5年後10年後の子どもの姿のイメージ図が入ってくるようになると思います。

そして子どもが成長していく過程の中で、時には混沌としたプロの世界でいうスランプのような時期があるかもしれません。〈何をやってもうまくいかない。こんなはずではないはずなのに。〉そこに大人が「もっと頑張りなさい」「努力が足りない」という「しつけ」という化粧を施せば一時的には良くなるようにみえるかもしれません。

 

でもその繰り返しがうみだすものがスポーツ界でいう「燃え尽き症候群」「バーンアウト」というものや、いわれたことしかできない子ども達、自己肯定感の枯渇した努力嫌い、はぐれものとなる子ども達です。

なによりも子ども自身が、そこに大人が口をだすことで自分自身を嫌いになってしまう、その時に関わっているスポーツのことまで嫌いになるという危険性さえもあります。

「しつけ」という世間に向けてする化粧は教師や親という大人にとっては一見、都合の良いものですが、子どもの人生ということから考えるとそれはひどい方法ではないでしょうか。

 

私たち大人の役割は、「しつけ」という化粧を子どもに施すことではなく、彼らの中に眠っている可能性を信じながら、子ども達よりもゆったりした時間に耐え得るその特性をフルに活かしながら、彼らの成長をじっくりと見守ることです。

どんなに成長のスピードが遅い子であっても、急に急成長する時がおとずれます。ずっと出来なかったことが急に「」になる時がきます。古い教育では才能がないとされていたような子どもも、大人が「しつけ」を手放し、才能の種まきとそれを待つためのゆったりとした気持ちでお互いにフェアで正直な関係を構築していけば、その子らしい才能が育っていきます。成長が遅い子の中に、これからの社会を変えていく力を持っている子が必ずいます。子どもに眠っている種の芽が目覚めるのを「待つ」こと、それこそが大切なことです。

 

ただし、自由性を履き違えて「放任」という形で手をこまねいていてはいけないのは当然のことです。その子、一人一人にあったスピードで様々なことを一度にではなく、一つ一つ丁寧に教えていくことがとても大切なことです。

 

例えば、親子でテレビに紹介されたトレーニングを家で毎日続けていこうと取り組んだとします。

 

最初は楽しそうにやっていたお子さんもすぐに飽きてしまった。子どもからはしなくなってしまった。

 

この時、一般的な大人の対応は大きく2つに分かれます。

①    無理やり続けさせる

②    「いやならやめなさい」と叱る、怒る

 

こうした感情・対応は「待つ」ことを忘れ、自分が子どもだった頃に受けたかった教育ではなく、今の自分が受けさせたい教育をしている方に特に多くでやすいです。

 

子どもからすれば、いやいやながらやっていては効果が薄いばかりか、そんな気持ちで「やらされて」いれば子どもの本来あるべき「自由」な考え方や選択の仕方まで失っていきます。

 

「放任」と「自由」は違います。そしてもっとも私たちが大切にしている「自由」は発想の自由さです。

子どもの「発想」、そこから考えること、感性、感覚は私たち大人よりずっと優れています。だからこそ子どもの感性、感覚といった子ども達が私たちより優れているものを認め、ゆっくりと吸収しながら子どもとともに成長していくことが大事ではないでしょうか。

親子スポーツ教室では、子どもが、家でする日々のトレーニングに飽きてしまった時、「待つ」という対応をします。そのうち子どもが「やってみようという」日が来るのをずっと待ちます。そしてその日は必ずやってきます。そしてもしかしたらまたやめてしまう日が来るかもしれません。でも、その繰り返しが大切です。その繰り返しから生まれてくるものが、本来の子どもの成長と才能を徐々に引き出してくれます。

親子スポーツ教室でのトレーニングの結果は、子ども達の運動会、試合での成績、日常での姿勢、授業態度等、様々な場面で感じられることだと思います。

しかし、その結果の前に子ども達はトレーニングそのもの、努力し日々成長することそのものに、親子スポーツ教室での教室そのものに「気持ちよさ」「心地よさ」を感じるはずです。

気持ちよさ」「心地よさ」を感じられるまでには、やったりやめたりを繰り返すかもしれません。その感覚、選択は子ども達のものです。まわりにいる大人がどうこういって、決して変えるべきものではありません。その感覚、選択の尊重こそ大事なのだと私たちは考えています。

 

大人は環境を整えてやることと待つことしか出来ません。この環境を整えること、待つことを親子スポーツ教室ではスポーツ科学の力を借りながらも全力を持って対応させていただき、少しでも子どもが早い段階から「気持ちよさ」「心地よさ」を感じることができる場作りに努めさせて頂きます。

 

お子さんを「待つ」間に、お父さんお母さんも一緒に親子スポーツ教室に参加する中で、家でお子さんとともにトレーニングに取り組まれる中で「気持ちよさ」「心地よさ」をお子さんと共感共有していただけたらと思います。

 

【努力とモチベーションの先を目指して】
最近、子どもに努力やモチベーションを強いるのを強調している風潮があります
ただ僕はそこに教育・人生の本質のゴールがあるとは思えません
多分この先に本物の天才は生まれてこない
自分のイメージ通りにできる感覚レベルを身につけた時できる楽しさからそれを無我夢中で繰り返す

そこに努力という言葉もモチベーションという不安定なものもない

感覚レベルにある自己の追求が更なる高みと進化し導く

「アレっ何かスゴい・・・」

何故かイメージ以上にできてしまう感覚が子どもを自己の追求に魅了する

ここにポイントをおくメゾットのひろがり、それができる指導者がこの先必要なのだと思います

今だけでなく、未来を見据えた地道なメゾット

子どもの今のモチベーションや結果ではなく、
5年後10年後を見据えて常に指導できるメゾット、指導者

この追求、そしてそのための社会システムづくりを多角的に複合的にしていきたい