【コミュニティデザインに何故今、スポーツが求められているのか】

循環型社会、コミュニティデザイン、まちづくり・・・・
そういった言葉が多くの人にとって身近となり、成功事例?もいくつかいわれている昨今。

多くの事例の中で、そうはいっても何かが足りない。

人間の根源、自然の根源をみようとしていて忘れている。

そんな引っ掛かりがどこかにある。

幸せなコミュニティ、幸せな地域・・・

でも人というのはすべての人がそうではないのけど、「幸せというもの」ほど飽きてしまうところがある。

そして良くも悪くも飽きてしまう方がパイは大きい。

これは価値観の方向性がいくら変換していこうがそんな気がする。

人はエンターテイメントがないとどんなに幸せに暮らそうが枯れてしまう。
枯れるというのは、悟りのようで、とても恐ろしいことでもあるようだ。

どんなに素晴らしい社会、構造を、コミュニティを形成しても枯れるものなら若者はいなくなってしまう。一瞬増えるかもしれないがそれは一時的、若しくはやはり特殊なのかもしれない。


そういった地域では幸せや大人の誇りはあっても、子どもの誇りと希望はうすい。


人はまた、「スカッとするもの」も必要としている。


これについても今後考えていく必要があるだろう。

ただ、「飽きがこないもの」「スカッとするもの」はスポーツの中にある大きな要素である。

学校の体育レベルから、運動の好き嫌い、得意苦手を、優劣の彼方をこえたものができた地域から、子どもの誇りと希望が生まれ、地方地域が活性化するのではないだろうか・・・・・・・