子どもの成長について知っていただきたいこと


 成長というと昨日より今日の方がうまくなり、今日より明日のほうがよくなる、そう思いがちです。

でも実際は運動も勉強もそんなことはありません。

 

「全然進歩していない状態」「スランプのような状態」そんな状態がある程度続き、そしてある日ふと気がついたら「いきなりできるようになった」「急激に進歩している」という時がきます。

 

結果というものは必ずしも右肩上がりの積み重ねではありません。

長い努力の積み重ねの中で神経システムが経験を貯めこんでいき、ある日突然それは爆発します。

 

私たちは何度もこれを経験していながらも、子育てをしている中で、子ども達に何かを教えていく中でこのことをどうしても忘れがちです。

 

そして、子ども本人をはじめ、私たちはこの爆発するまでの準備期間を残念ながら「マイナス」として日頃感じがちです。

 

頭の中では「やればやるほど進歩する」「努力は報われる」「昨日の自分より今日の自分の方が上だ」と思っているのに現実はやってもやってもできない。

 

これでは「自分には才能がない」「自分は向いてない」と落ち込んでも当然です。

 

でもそんな時に 人の成長というのはらせん状で、突然爆発するものだと知っていれば本人がこのことで落ち込む必要性はありません。

 

特に大事なこととして、子ども以上に家族や指導者をはじめとした周囲がこの過程を知っていれば「もっと頑張りなさい」というプレッシャーをかけるようなことや子どもを傷つけるような言葉も減っていきます。

 

子どもができるようになるまで「待つ」ことができるようになり、過剰な干渉やプレッシャー、親御さん自身のいらつきというものもなくなっていきます。

そうやって準備期間は子どものペースに任せ、大人はその環境を整えることに徹すれば、
子どもが自分のイメージ通りにできる感覚レベルを身につけ、
その楽しさからそれを無我夢中で繰り返す時がきます。

 

そこにはすでに努力という言葉もモチベーションという不安定なものもありません。

 

貯めこまれた経験の爆発、感覚レベルにある自己の追求が更なる高みへと導きます。

 

「アレっ何かスゴい・・・」

「何かわからないけどできてしまう」

 

何故かイメージ以上にできてしまう感覚が子どもを自己の追求に魅了していきます。

 

今だけでなく、未来を見据えた地道さと

子どもの今のモチベーションや結果ではなく、
5年後10年後を見据えて常に環境をつくっていくことが

 

私たち大人の役割です。

 

三国志で有名な諸葛孔明が戦場で没するときに、幼い自分の息子にあてた言葉に

 

【淡泊明志寧静致遠】

 

という言葉があります。

 

この言葉の意味は

「私利私欲に溺れることなく淡白でなければ志を明らかにすることができない。」「落ち着いてゆったりした気持ちでないと、遠大な境地に達することができない。」

「志を明らかにするには、我から離れ、崇く俯瞰しなければならない。」「壮大な展望を実現するには、腹を据えて行動し、寛容に人と接するべきだ」

 

幾度もの戦場を生き抜いた諸葛孔明がだからこそみにつけていた感覚、子どもに残したかったもの

 

 

この諸葛孔明の感覚こそ、今の私たちに必要なものなのではないでしょうか。

 

脳神経システムについて

一本歯下駄GETTA で子ども達にトップアスリートの感性と感覚を


人間には約600個の筋肉がありますが、深層筋といわれる筋肉群をはじめ多くの筋肉が眠っています。

そして、ここ10年でインナーマッスルの重要性が増していく現在においても、未だに多くのトレーニングというのは、元々使っている筋肉をいかに強くしていくかに重点が置かれているものがほとんどです。

 

言い換えれば、多くの筋肉を使っている子どもは練習をすればするほど伸び、そうでない子どもは飲み込みが遅い、センスが無いといわれるシステムをつくりだすトレーニングです。

 

実の所、運動神経の差、上達スピードの差というものは筋肉の質や量といった遺伝以上にこの約600個に及ぶ筋肉をたくさん使えてるか使えてないかの方が非常に重要です。

 

いってみれば今まで「遺伝のせい」「運動センスがない」とされていたものはそのほとんどが「トレーニング」「指導者」側の可能性の方が非常に高いといえます。

 

それは上手い子がうまくなるトレーニング、上手い子のための指導者、練習方法が多かったからです。

 

また、身体にはクセというものがつきやすいのですが現代社会において多くの子ども達の身体に悪いクセが染み付いてしまいがちなだけでなく、本来は自然と身につくとされていた「走り方」や「身体の使い方」といったものを知らない子どもが増えてきています。

 

身体に悪いクセが染み付いてしまうと、身長等の体格面での成長の妨げになるばかりか、呼吸が浅くなり、心の状態も不安定になっていき、勉強の学習効果も薄れていきます。

 

スポーツ教室ではまず、「身体に染み付いてしまった悪いクセ」をリセットするための一本歯下駄トレーニングから入り、大腰筋をはじめとした深層筋を活性化させるトレーニング、より多くの筋肉を使える身体にしていくことで遺伝に左右されずにセンスを磨くことができるトレーニングワークをしていきます。

 

そうしていくことで多くの子ども達に身体を動かす楽しさ、上達していく、成長していく楽しさを実感していただけたらと思います。

 

この時、特に意識しているのが脳神経システムと運動神経の関連性です。

ここまでずっとお話してきたように、間違って形づくられた運動神経やストレス負荷のある状態のまま正しいフォームとされるものを繰り返す反復練習・トレーニングといったものが日常生活やスポーツクラブ、部活動で、はびこっていたからこそ、できる子はドンドンできて、できない子はいっこうにできないという状態が多くのスポーツ現場でみられてきました。

 

このことは体育の授業やスポーツ現場に限らず、日常の姿勢や御箸の持ち方等でもいえることです。

 

リセットするための時間やトレーニングを設けずに正しいフォームとされるものばかりを強要していても、脳神経システムと運動神経の関連上、それは非常に困難なことです。

 

リセットしない状態で正しいフォームとされるものを繰り返しおこなっていてもそれは脳にストレス反応をおこさせてしまい、苦痛の何者でもありません。

 

大事なことはクセを取り除き、今まで使われて来なかった筋肉や神経を活性化させる中で身体地図を広げていくことです。

 

 

練習について


子どもの成長サイクルのページで述べているようにスポーツ教室では子ども達のご自宅でのトレーニングメニュー、トレーニング回数については子ども達自らが考え、宣言し、決めます。

 

トレーニングメニュー、トレーニング回数は子ども自身が練習の中、身体と会話していく中での感性、感覚からつくられていきます。

 

ここでの一つの狙いは「練習」=「頑張るもの」「しんどい」というものから脱却し、「練習」=「心地良いもの」「身体と会話ができる時間」というものを子ども達が感じられるようになっていくということです。

 

今までの日本の多くの教育現場では先生、指導者がメニューや回数を決めてきました。ですがこれでは練習、勉強の目的というものが「決めた回数をやりとげること」になってしまいます。何より子ども達の身体との会話、感性、論理的な考え方というものが育っていきません。そしていつしか「練習」=「頑張るもの」「しんどい」というイメージが強くなっていき、スポーツ・勉強と場面を問わず挫折していく子ども達を増やしていきます。

 

逆に、先生・指導者でなく、子どもがメニューや回数を決めることは、子ども自身が身体の深みを感覚的に知り、その深さを追求する努力を積み重ねるサイクルを生み出します。そして、おのずと自分で身体との会話の中、メニューや回数を決めていけるようになります。

 

そうなっていくと、この練習は今の自分だったらこれぐらいすれば効果的だと徐々にトレーニング回数を増やしていったり、さらに高度なトレーニングメニューを組んでいくことが子ども自身でできるようになります。

 

そうやって身体地図を広げていき、「身体脳」と呼ばれる身体が何かできるようになる回路を育て、つくっていくことが「練習」です。

 

一本歯下駄はそうした「練習」と非常に相性がいいです。

 

そういった「練習」の積み重ねができる環境が増えていってこそ「スポーツは人を育てる」と誇りをもっていえる道筋が生まれてくるのだと思います。

 

 

才能について


モーツアルトは幼少のころから生涯ずっと頭痛に悩まされていたといいます。

 

そしてモーツアルトの数々の名曲はその頭痛を少しでも和らげる音楽をモーツァルト自身が追求していく過程で生み出されたというものも少なくありません。

 

見方を変えればモーツアルトの一番の才能は絶対音感や音楽的センスなのではなく彼を生涯苦しめた頭痛だったともいえます。

 

もしモーツアルトに頭痛がなければここまで時空を超える音楽は生み出されなかったのではなでしょうか。

 

人は誰しも自分の生涯を苦しめる何かを持っています。

 

でもその何かと真剣に向き合うことを10年以上続けていき、しっかりとそのことを飲み込み、自分の長所をただひたすら伸ばし、自分しかしないことを圧倒的にできるようになった時

 

人は欠点からでさえ才能を超える才能を生み出すことができる可能性があります。

 

スポーツ選手でも芸術家でも経営者でも語り継がれる人というのはただ才能があるだけでなく、欠点から才能を伸ばすことができた人のような気がします。

 

子どもを叱りたくなった時、このことを一度思い出してみてください。

実はその行動は才能の片鱗かもしれません。

 

今日もこっそり、子ども達の隠された才能を探していきましょう。

 

社会の変化とこども達。ベビーカーの普及を例に


10年前と今で大きく変わったのがベビーカーの普及率だと思います。

ベビーカーが日本社会に普及するというのは様々な社会的動きとリンクしている。

一つは女性の社会進出であり、

また一つはバリアフリー化である。

ベビーカーの普及というのはこれらの社会普及のシンボルといってもいい位置にあると思う。

そんなベビーカーの普及してきている社会において、小さなお子さんをお持ちのお母さん方から子どもの成長について多くなってきた相談が

「子どもが平地でもすぐ転んでしまう」
「何気ないちょっとしたところで転ぶ場面が多い」というものです。

ベビーカーの普及によって、母親が赤ちゃんをおんぶする時間の多くがベビーカーの時間に変わっていき、おんぶの中で、母親にしがみつくことで養われていたふんばる力が育まれなくなっていった。

そのことが歩き慣れてきた幼児期になって、転びやすいということで表にでてくるようです。

この現象の一番の問題は〈多くのお母さんにとって、子どもがなにもないところで転ぶというのは「子どもの不注意からくる」という思い込みのイメージだと感じます。〉

「子どもの不注意」に一番の原因があるととっさに判断してしまうため、どうしても子どもを叱ってしまう。

子どもの注意力の問題として、そのことがおこるたびに叱ってしまう現象が多くの親子において起きていく。

もしかしたらこれが親子の最初のすれ違いのはじまりかもしれない。

こういう現象を導くものだからといって、ベビーカーは決して悪いものでもない。

ただ、僕らはその便利さから生まれたものと失われたものを常に同時にみていかなければならない。

そして失われたものにしっかりと向き合う中で解決策をみつけていくことが大事なのだ。

例えば、赤ちゃんの頃の取り組みが難しいのであれば、

歩くようになった幼児期に如何に、「踏ん張る力を養っていけるようにするか」

ということや

多くの人に、子どもが転びやすい現象は、その子の注意力とは別のところにある可能性が高く、大人が責任の中で歩み寄らなければならない問題だということを広げていくことが大事なことのように思う。

今、社会の変化の中、子ども達にも多くの変化が起きていて、そして僕たちはまだそんなこども達の変化に充分に対応できていないことが多い。

そして何よりもその変化を知っているようで知らいないことが多い。

社会とこども達の変化から多くのことがみえてくると思います。

最後に

自分のカラダをいたわることができることが優しさへのスタートです

子育てをしていると、どうしても体に無理をしがちだと思います。

そしてその体に溜まった疲れが知らず知らず子どもにいってしまう方も少なくありません。

 

「もっと子どもに優しくしてあげたいのに、自分でも何故かコントロールできない」という声を時々聞くことがあります。

 

多くの人が我が子のために、正しい接し方をしてあげたいと思いながらも現実は思うようにいかないみたいです。

 

 

そんな時は発想を変えて自分のカラダをいたわることをご自身にしてあげてください。

 

まずは自分のカラダを気にすることができ、万全な健康状態があってこそ、子どもに適切な優しさを持つことができます。

 

スポーツ教室では、親御さんが子どもとともにご自身のカラダをケアしていけるプログラムを準備しています。是非子どもさんとともに取り組んでいってください。