スポーツと体罰について

【スポーツにおける体罰について】
体罰について突き詰めていくと指導者の能力不足、コミュニケーション不足のごまかしでしかないという考えになっていきます。
部活動の指導者にしろ、体罰をする人間というのはどこか潜在的に子どもを己の道具として認識しているのではないかと思う。
愛ある体罰というけど、それはごまかしであり、なにより愛があるならばじっと拳を見つめる時間があるんではないか・・・
『巨人の星』というマンガは本当によくできていている。
主人公の星飛雄馬は父の星一徹にそれこそ愛ある体罰のある指導のスパルタ教育の中、甲子園で活躍し、巨人軍にはいる。そんな星飛雄馬は常に一時だけしか活躍できない。身長、球の軽さと色んな理由で活躍してもすぐに挫折し、選手生活を通してどころかシーズンを通しても長く活躍できた時期はない。星一徹というキャラクターはとても人情味があり個人的には好きな人物であるが、やっぱりこの人も星飛雄馬を自分の悲願を達成させる道具として育てている。体罰というのは人を自分の思い通りに、つまりは道具として認識するという行為であり、どんな理由であれあまり好ましいものとは感じない。逆に『キャプテン翼』はそれこそ「ボールは友達」という自分でつくった自己哲学を持つサッカーオタクの大空翼が主人公であり、彼は少年時代から第一線で活躍し続け、今ではバルセロナの一員として世界のトップで活躍している。
そしてこの大空翼を少年時代に指導したロベルト本郷こそ、指導者の一つの理想的なロールモデルだと思う。彼は大空翼の感性や感覚、将来についてとことん尊重し、引き出していく。キャプテン翼は哲学や大事なことは本当にうまくできている。これが世界中で人気の秘密なのではないだろうか。