才能について

モーツアルトは幼少のころから生涯ずっと頭痛に悩まされていたといいます。

 

そしてモーツアルトの数々の名曲はその頭痛を少しでも和らげる音楽をモーツァルト自身が追求していく過程で生み出されたというものも少なくありません。

 

見方を変えればモーツアルトの一番の才能は絶対音感や音楽的センスなのではなく彼を生涯苦しめた頭痛だったともいえます。

 

もしモーツアルトに頭痛がなければここまで時空を超える音楽は生み出されなかったのではなでしょうか。

 

人は誰しも自分の生涯を苦しめる何かを持っています。

 

でもその何かと真剣に向き合うことを10年以上続けていき、しっかりとそのことを飲み込み、自分の長所をただひたすら伸ばし、自分しかしないことを圧倒的にできるようになった時

 

人は欠点からでさえ才能を超える才能を生み出すことができる可能性があります。

 

スポーツ選手でも芸術家でも経営者でも語り継がれる人というのはただ才能があるだけでなく、欠点から才能を伸ばすことができた人のような気がします。

 

子どもを叱りたくなった時、このことを一度思い出してみてください。

実はその行動は才能の片鱗かもしれません。

 

今日もこっそり、子ども達の隠された才能を探していきましょう。

 

【社会の変化と子どもたち。ベビーカーの普及を例に】

10年前と今で大きく変わったのがベビーカーの普及率だと思います。

ベビーカーが日本社会に普及するというのは様々な社会的動きとリンクしている。

一つは女性の社会進出であり、

また一つはバリアフリー化である。

ベビーカーの普及というのはこれらの社会普及のシンボルといってもいい位置にあると思う。

そんなベビーカーの普及してきている社会において、小さなお子さんをお持ちのお母さん方から子どもの成長について多くなってきた相談が

「子どもが平地でもすぐ転んでしまう」
「何気ないちょっとしたところで転ぶ場面が多い」というものです。

この現象の一番の問題は〈多くのお母さんにとって、子どもがなにもないところで転ぶというのは「子どもの不注意からくる」という思い込みのイメージだと感じます。〉

「子どもの不注意」に一番の原因があるととっさに判断してしまうため、どうしても子どもを叱ってしまう。

子どもの注意力の問題として、そのことがおこるたびに叱ってしまう現象が多くの親子において起きていく。

もしかしたらこれが親子の最初のすれ違いのはじまりかもしれない。

こういう現象を導くものだからといって、ベビーカーは決して悪いものでもない。

ただ、僕らはその便利さから生まれたものと失われたものを常に同時にみていかなければならない。

そして失われたものにしっかりと向き合う中で解決策をみつけていくことが大事なのだ。

例えば、赤ちゃんの頃の取り組みが難しいのであれば、

歩くようになった幼児期に如何に、「踏ん張る力を養っていけるようにするか」

ということや

多くの人に、子どもが転びやすい現象は、その子の注意力とは別のところにある可能性が高く、大人が責任の中で歩み寄らなければならない問題だということを広げていくことが大事なことのように思う。

今、社会の変化の中、子ども達にも多くの変化が起きていて、そして僕たちはまだそんなこども達の変化に充分に対応できていないことが多い。

そして何よりもその変化を知っているようで知らいないことが多い。

社会とこども達の変化から多くのことがみえてくると思います。


ベビーカーの普及によって、母親が赤ちゃんをおんぶする時間の多くがベビーカーの時間に変わっていき、おんぶの中で、母親にしがみつくことで養われていたふんばる力が育まれなくなっていった。

そのことが歩き慣れてきた幼児期になって、転びやすいということで表にでてくるようです。